教#084源氏物語14

「たかやんノート84(源氏物語14)」

昨日、美術全集を見ていて、横山大観が描いた「夜桜」の絵を、しばらく見入ってしまいました。遠景の山や山の端に上がって来る月、松などは、装飾的にsimpleに描いています。中景の松は、少しぼやかしてあって、近景の真ん中の桜は、リアルに描いています。あちこちに篝火が据えてあって、篝火の光の中で、幻想的な満開の花が、浮かび上がっています。スケールの大きい傑作です。印刷された画集の絵ですが、日本画の美しさが、身に沁みて伝わって来ました。私は、横山大観が一時期、活動の拠点にしていた茨城県の五浦に、若い頃、行ったことがあります。その時、画集やレプリカで、大観の絵をひととおり見た筈ですが、有名な「無我」が禅問答の絵のようだったくらいの、薄い記憶しか残ってません。日本の古典もそうですが、日本の美術の美しさが、解るようになるためには、ある程度、歳を取って、人生の経験を踏む必要がきっとあります。

 ただ、美しさが理解できないとしても、取り敢えず、見ておけば、それは将来の財産になります。私は、日本の南画は、高校生の頃から見ています。大学時代は、正月明けに京都の国立博物館で開催されていた鉄斎展を、毎年、見ていました。南画を見ていたから、四万十川の河口の土佐中村に住んでいた時、自分を取り囲んでいる自然の美しさが、より一層、親しいものになったとは言えると思います。

 今、源氏物語を読んでいます。全五十四帖のあちこちに、割と濃く読み取れる箇所があります。より一層、理解できて、感情移入も可能です。この濃淡の違いは何だろうと、一回目は「?」だったんですが、2回目に気がつきました。濃く、しっかりと読み取れる箇所は、高校時代に読んでいた文章です。学校では、桐壺の冒頭を習っただけです。高3の時、古典の塾に、毎週、土曜日の午後、通っていたんですが、そこで講読していたのは大鏡です。オリオンと云う通信添削の国語だけを、月に3回やっていたんですが、そのオリオンの古典の問題文に、源氏物語が使われていたんです。

 昨日の新聞に、大学2年生の投書が掲載されていました。大学1年生だった去年は、バイトとサークルに追われて、ほとんど勉強してなかった。今年は(コロナの影響で)バイトの仕事もなく、サークルも活動停止になって、ようやくちゃんと、勉強するようになったと書いていました。大学の授業は、おそらくオンラインで実施されていると想像できますが、バイトとサークルと、飲み会がなくなると、志の高い学生でしたら、やはり勉強をするようになります。

 私は、源氏物語を、仕事をしながら7ヶ月半かけて読みました。一回目は、毎日、2時間かけて、10ページのノルマの文章を、何とか読了していました。大学生が、本気になれば、2ヶ月くらいで読み通せます。解らない箇所は、多分、いっぱいあります。が、日本語ですから、解らなくても、contextでだいたい読み取れます。社会科学系の法学部や経済学部の学生に勧めるつもりは、別にないんですが、日本文学科や国文学科に籍を置いているのであれば、たとえ卒論を漱石で書こうと、あらかじめ決めていたとしても(まあ、どう考えても参考文献が沢山あって、書き易すそうです)源氏物語を読んでおけば、論文の奥行き、幅は多少なりとも広がります。

 4月9日から、毎日、玉川上水沿いを走っています。遊歩道の部分は、シルバー人材センターの方たちが、時々、草刈りをされています。柵の向こうの玉川上水の土手の草は、放置しています。たまに柵の向こう側の草も刈ったりするのかもしれませんが、今のとこ、そういう形跡はないです。基本、自然の勢いのまま、植物は自由に繁茂しています。今ですと、紫陽花の薄い紫が、きれいです。古典の色分けで言うと、薄色です。夕顔(実際の花も源氏物語の登場する常夏も)は、まあこういうイメージです。夕暮れ、この色で、花が咲く筈です。

 源氏物語を読んで、役に立つか、立たないかと言うと、まあ、普通の生活の中では、役に立ちません。就活のオンライン面接で「趣味は、源氏物語講読です。源氏物語に出て来る植物は、すべてネットで検索して、一覧表にして整理しています」などと、アッピールしても、会社の人事担当者は、別段、感心などしてくれません。会社のパソコンを使って趣味の世界に没頭するかもしれないと、邪推されてしまうかもしれません。

 役には立たないんですが、生活はゆたかになります。紫陽花の花びらは、これから毎日、少しずつ変化して行きます。その毎日の変化のディティール(細部)が、読み取れるようになります。「神は細部に宿る」と云うフレーズがありますが、細部のニュウンスを見分けることができるようになれば、そのスキルは、他の方面にも応用できます。

 岩波の古典文学大系の源氏物語が、オーソドックスなテキストだろうと推定しています。岩波の源氏物語は、本文の横に誰がその行為の主体なのか、誰に対する行為なのか、何をどうするのかと云った風なことが、解るように注釈が書き込まれています。頭注もありますし、巻末には文法事項などの詳しい説明なども掲載しています。岩波の古典文学大系が、一番、解り易いテキストです。が、慣れて来ると、本文の横に注釈が書いてあるのが、邪魔になるんです。漢文も読み慣れてしまえば、送り仮名とか返り点とかが表記されてない白文の方が、多分、読み易くなります。返り点も送り仮名も、日本人が意味が読み取り易いように、便宜的につけてあるだけです。頭注や巻末のそれは、あっても構いませんが、本文の横の注釈はない方が、原文のリズムを崩さずに、読めるようになります。私は、小学館の源氏物語をベースとして使っていて、岩波は参考文献として参照しています。

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