創#682「小5、6の頃、毎日、海や山で遊んでいました。子供時代のある一定時期、本物の自然に取り囲まれて生活することは、その後の成長、発展のために、有益な条件だろうと想像できます」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー426」

「じゃあ、Y子は、狡くてcleverな大人を促成栽培することに、積極的に加担してしまうってことですか?」と、U子さんは反発するような口調で言った。
「私は、三つの小学校に行ったんですが、最初の学校と、次の学校は、大人の言うことを、唯々諾々と素直に聞く子供を、作り出そうとする学校でした。先生の言うことを聞かない反抗児は、ある一定数いて、その子たちは、学校に行かなかったり、行っても、村八分みたいな状態で、冷たくあしらわれたりしてました。冷たくあしらわれてまでして、学校に行く必要はないし、親も別に何も言わないし、私は、ごく当たり前のように不登校で、小1から小4までの4年間を過ごしました」と、私が言うと
「勉強とかどうなるんですか。学力がなかったら、将来、困るんじゃないですか?」と、U子さんは、真摯な口調で訊ねた。
「私は小学校の4年間、中1、2の2年間、ほぼ不登校に近かったんですが、別段、困ったりはしてません。学校で勉強をしなくても、普通に生きて行けます。学校に行って、ちゃんと勉強しなきゃいけないと、思い込まされているんです。そもそも、私は学校の先生と言うのは、教育学部を卒業された方の就職口として、用意されているとすら考えています。教育をしなきゃいけないから、教師が存在するのではなく、仕事としての教職を成り立たせるために、子供たちを、学校に無理やり通わせていると思っています」と、私はU子さんに率直な口調で言った。
「でも、圭一くんは、高校を中退して、別の高校に入り直し、ちゃんと卒業しています。学校は必要だし、何らかの役割を果たしているから、再入学したんじゃないですか」と、U子さんは、突っ込んで来た。
「小中学校の義務教育と、高校とは区別して考えるべきです。小学校の場合、担任の先生の権力と権威が大き過ぎます。担任の専制帝国みたいな状態にすらなってしまいます。ですが、先生を殴る小学生とか、聞いたことがないです。小学生の頃は、先生や大人の言うことを、ちゃんと聞かなきゃいけないという道徳が、徹底的に刷り込まれてしまっています。中学生になると、体力的に先生より子供の方が、上だったりします。で、担任の先生が、生徒に殴られたら、その先生も生徒も、ほぼThe Endです。生徒に殴られたりするような担任に、子供たちが付いて行く筈がないです。その後は、学級崩壊して、どうしょうもなく荒れたクラスとかに、多分、なってしまいます。そんなクラスに行く価値は、ないんじゃないですか?」と、私が言うと
「そういう中学校があるってことは、聞いたことがあります。あたしが通った中学校は、別段、荒れてなくて、落ち着いていました。小学校の5、6年の先生が、宿題は多いし、厳しかったんですが、反抗するという発想は、多分、誰も持ってませんでした。給食を残すことは、無論、認められてなくて、嫌々、我慢して、みんな最後まで食べていました」と、U子さんは、小中学校時代のことを語った。
「私は、先生を殴ったことはないです。ですが、不登校をせず、嫌々、通っていたら、殴っていたかもしれません。中学校と同様、小5、6くらいでも、先生が殴られたら、やっぱり学級崩壊します」と、私が言うと
「でも、小5、6は、ちゃんと通ってたんでしょう」と、U子さんが訊ねた。
「子供たちのエネルギーが強烈で、担任の先生の陰は、薄かったんです。漁村の子供たちですから、勉強することの価値は、多分、親も信じてません。親たちは、義務教育なので、学校に通わせていますが、学校で、勉強して欲しいなどとは、思ってません。勉強など、漁師の仕事には、何の役にも立たないと、確信しています。クラスは、結構、わぁわぁしてました。担任の教えることを聞いてなかったりとか、普通でした。担任も別段、無理押しもせず、放任してました。が、クラスの中には、秩序があるので、崩壊はしてないんです。私は、転校生でしたが、即座に迎え入れてもらいました。漁師の孫なので、漁師のDNAが私にも受け継がれていて、自分たちと同質の人間だと、男の子たちは、直観で認めたんだと推測しています。担任の先生が、上から目線で、道徳を垂れたりしたことは、一度もないです。女の子の方が、しっかりしていて、行事や委員会活動は、女子が仕切っていました。男子は、女子の仕切りに、唯々諾々と従っていました。これは、まあ母系社会的な自然状態だったような気がします。小5の時、小6の先輩の女子は、神みたいな存在でした。先生の仕切りではなく、先輩たちの仕切りで、モノゴトは、上手く回っていました。中学受験をする男子は、一人もいなかったし、試験に合格するための学力を、身につける必要もなかったので、ある意味、先生はやり易かったと思います。女の子は、荒れているN中に進学するのが嫌で、多くは、私立の女子中を目指していましたが、彼女たちは、塾に行って、勉強をしていました。試験に合格するために、学力は塾で身につける、学校で子供たちは、生徒たちの一種の自治の中で、それなりに成長して行く、そういうスタイルができあがっていたので、小5、6は楽しかったし、学校にもちゃんと通っていたんだろうと推定しています。女子のことは判りませんが、男子には、地域にコミュニティが存在していて、そのコミュニティの中で、世の中で普通に生きて行くためのマナーを学びました。煙草や酒を飲むことは、個人の自由だが、人のモノを、盗むのは絶対にダメだとか、神社の掃除とか、祭りの準備とかは、みんなで協力してやるといった風な、基本の作法を身につけました。学校は、やたらと感想文とか反省文とか書かせるんですが、小学生の書く文章なんて、基本、嘘と偽善だらけです。コミュニティでは、そんな無駄なことはせず、必要とされる仕事を、役割分担をしてやってました。そもそも、小学生には、文章は書けないんです。文章を書くためには、ある一定量のinputが必要です。inputがなければ、何を書いていいのかも判別できません。つまり、文章を書くためには、それなりの量の読書が必要です。本を読まない限り、文章は書けません」と、私はU子さんに説明した。

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