自#546「若い頃は、少々、無茶苦茶なことも可能です。美味なものを食べ、美味なアルコールを予算内で飲むこともできます。人生をenjoyすることに、遠慮はいらないと思います」

         「たかやん自由ノート546」

 辻静雄さんがお書きになったワインの本を読みました。はしがきに「本書はワインの入門書を目指し、フランスを中心に栽培地、有名銘柄、その特質などを書き並べた。ワインを『知る』には、まずその名前を覚え込むことだと思っている」と、お書きになっています。まず、名前や用語を覚え込むことが、何ごとも最初のスタートです。名前や用語を覚え込まないで、ざっくりとした雰囲気や流れだけで、モノゴトを掴(つか)もうとしても、その曖昧な知識は、たちどころに雲散霧消してしまいます。私が教えている世界史は、゛大学受験のための詰め込み暗記科目だと、批判されたりもするわけですが、名称、用語を憶え込まない限り、先には進めません。ヨハネの福音書の冒頭は「初めに言葉ありき」ですが、とにかく個々の言葉を憶えない限り、考える糸口さえ見つけることはできないと断言できます。
 辻さんのこのワイン入門書は、受験参考書と同じノリで読めます。別に、そう面白くはないです。ちょいちょいエピソードも書いてありますが、それは、コーヒータイムの休憩って感じです。産地と銘柄をしっかりと頭に叩き込むことが、この本の眼目です。ソムリエを目指している若い人でしたら、大判のノートに各地域の地図を描いて、各村の名称を書き込み、ワインの銘柄や等級、栽培している土壌の成分やブドウの種類などについて、powerfulに力技(ちからわざ)で、憶え込んで行くんだろうと推定できます。ソムリエの試験内容が、どういうものなのか寡聞にして知りませんが、辻さんのこの入門書をマスターして置けば、ペーパー試験に関しては、ほぼ合格点が取れるんじゃないかと想像できます。もっとも、辻さんがお書きになっているのは、ヨーロッパの主要国のワイン事情だけです。フランス、ドイツについては詳しく、イタリア、スペイン、ポルトガルも必要なことは網羅しています。今、流行のカリフォルニアワインとか、オーストラリア、南アフリカ、そして日本のワインなどについては、別途、対策が必要なのかもしれません。まあ、それは過去問を見れば、即座に判明します。チャンスがあれば、ソムリエ試験の過去問を見てみようと思っています(あっ、人生百年時代とかのかけ声に騙されて、今からソムリエを目指すとかってことは、絶対にありません。世の中のことを、多少なりとも知るために、ちょっと調べてみるって感じです)。
 辻さんの本を読んでいて、もしかしたら、辻さんはワインを、あまり、あるいはまったくお飲みにならないんじゃないかという気がしました。本当に好きなものに、ずぶずぶとのめり込んで行く、オタク独特の魔道に陥る「あの感じ」の気配がないんです。実に客観的、かつ簡潔に、情報をコンパクトに綴ってあります。ソムリエの試験対策本として、申し分なしでしょうが、魔道に陥っている人は、違和感を抱きそうです。
 が、まあワインを飲んで、魔道に陥ることは、そうそうはないのかもしれません。映画に登場するアルコール中毒者は、ウィスキーのポケット瓶を、こっそり隠し持っていて、人が見てない隙を狙って、一瞬の内に、飲み干してしまうみたいなイメージがあります。つまみのチーズやナットなどを、かじったりする余裕はないし、本当の酒好きには、ツマミが必要だとも思えません。
 魚料理=白ワイン、肉料理=赤ワイン、これをまあ、一応、公式だと規定して、魚介類が獲れる海に近いとこは白ワインが多く、ジビエが豊富な内陸は、赤ワインが多いという大雑把な印象を受けました。結局、ワインというものは、料理とは絶対に切り離せないものなんだということを再確認しました。ワインのみ、ひたすら飲み続けることは、考えられません。料理を美味しくするためのワインですし、ワインを美味しく飲むための料理です。
 私は、毎日、源氏物語を読んでいますが、料理を食べる場面は、一切、出て来ません。うさぎの煮込み料理を食べるのに、10ページも費やしてしまうゾラの小説とは、そこは違います。平安時代には、まだ清酒は発明されてないので、平安貴族たちは、ひたすらどぶろくを飲んでいたんです。平安貴族の若手は、鷹狩りなどをしていました。ですから、ジビエ(獣鳥肉)は、食べていた筈です。が、どぶろくとジビエとは、マッチしません。ジビエは、やっぱり赤ワインだろうと、ワインを飲まない私ですら、思ってしまいます。
 日本酒というのは、さらっとしています。さらっとはしているんですが、アルコール分は、それなりに強く、日本酒の持つアルコールのこくが、次の酒を呼ぶみたいなとこが、あります。日本酒が、ご飯や味噌汁を要求することは、絶対にないと言い切れます。ご飯を食べた時点で、日本酒を飲みたいという欲望は、停止します。
 ウィスキーもブランディも、ひたすらアルコールだけを摂取することが可能です。ラム酒も、(飲んだことはありませんが)老酒なども、多分、そうです。蒸留酒というのは、酔うために飲むものです。醸造酒のビールは、何か食べるつまみを要求するアルコールです。ビールだけをひたすら飲んでアル中になる人は、まずめったにいないんじゃないかと、想像しています。
 料理を、ハイレベルの文化にしたのは、フランス料理と中華料理です。日本料理は、素材そのものの持ち味を生かした、季節に合わせた料理なので、徹底的に調理を施しているフランス料理や中華料理とは、その文化の本質がかなり違います。日本料理は、見た目、美しいかどうかということも、かなり重要です。
 ナポレオン戦争のあと、ウィーン会議で、フランス代表として、大活躍したのは、タレーランです。フランスは周囲に迷惑をかけまくった敗戦国なのに、敗戦国としての被害を、最小限度にとどめ、まるで戦勝国のように、ウィーン会議の主導権を、オーストリアのメッテルニヒと二人で握っていました。タレーランは、ボルドーのグラーベに、シャトーを持っていました(著名なシャトーオーブリアンを産する村です)。自分自身のぶどう畑、ワイン工房を持っているくらいですから、authenticな食通です。タレーランのお抱えのコック長は、後に不世出の料理人と言われたアントナンカレームです。朝、仕事に行く前に、必ず、カレームと夕食の打ち合わせをしていたそうです。タレーランは、カレームを伴って、鍋、釜も持参して、ウィーンにやって来ます。昼間の正式会議は、曖昧、うやむやに過ごし、夜、自分が用意してある食事に、主要メンバーを招き、「夜の会議」を開きます。ウィットに富んだ会話、贅を尽くした料理、そして、シャトーオーブリアンで、相手を籠絡しました。
「美味なものを食べると、人は妥協的になる」と、これはタレーランが残した名言です。

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