自#248「黒電話のダイヤルを回してつながる、あの間が絶妙だったに、プッシュホンで、ぴぽぱぽぴぽで、しゅっとつながるのは、何かなぁって感じでしたね」

「たかやん自由ノート248」

12、3年前にベストセラーだった「女性の品格」と云う新書を、近所の古本屋で買って読みました。著者は、昭和女子大学の板東眞理子先生。板東先生のルーツは、霞ヶ関のお役人さんです。オーストラリアのブリスベンで総領事として、仕事をされていた時期があります。総領事として、公邸でディナーを開催して、賓客を招待すると、招かれた人からは、必ず礼状が届いたそうです。日本の公務員社会の公的な会食に呼ばれても、礼状を書いたことはなかったので、カルチャーショックを受けて、大いに反省したそうです。

「女性の品格」と云う著書は、「品格のある交際は、まず礼状を書くところからはじまるといっていいでしょう」と云うオープニングの文章で始まります。つまり、板東先生は、ブリスベンの総領事に就任した後、品格のある生活を、少しずつ努力して、始められたと云う風にも読み取れます。子供の頃から、家庭の躾を通して、ごく自然に品格を身につけた方であれば、品格が備わっていることが、そもそも当たり前なので、わざわざその方法論を著書で明らかにしたりはしないと思います。品格でさえ、情報と知識を得て、個人が努力して身につける、そういう時代になっているからこそ、この本はベストセラーになったんだと想像しています。

 私は、昔から礼状は書いています。小学生の頃は、書いてませんが、それは、そういうchanceがなかったからです。礼状を書くことを、誰かに教えられたわけではありません。一般的な常識として、子供時代に身につけていたんだと思います。誰かに教わったわけでも、強制されたわけでもなく、自主的に書いていたので、これまでずっと書き続けて来れたと、自分では思っています。礼状と云うのは、つまり文章を書くことですが、文章と云うのは、強制されて書くものではありません。礼状を書きたくない人は、カードを利用すればいいんです。そこらの文具屋に売っているサンキューカードです。名前と日付を入れて、宛名を書いて、切手を貼って投函すれば、それで万事終了です。もしかしたら、宛名書きや切手を貼ると云ったことも、郵便文化が衰退していますから、億劫になっているのかもしれません。

 最初の学校でお世話になったO先生から、12月に入って、「賀状中止のお知らせ」が届きました。O先生は、81歳です。O先生は、都立高校は二つ、国立と私立は一つずつ、学校長を経験されています。毎年届く年賀状の枚数は、そう少なくはないと思います。膨大な枚数の年賀状の宛名を書くだけでも、大変な作業です。傘寿を過ぎた方が、そんな御苦労をする必用は、まったくないと思います。

 私も、年賀葉書を使った年賀状は、何年か前にやめました。家族の写真を年賀葉書にプリントして、そこに「お元気ですか」とか「今年は会いたいですね」などと云ったおざなりな一言を、毎年、書いていたわけですが、そのおざなりも、いい加減マンネリ化してしまいました。かと云って、いきなり年賀状をやめるのも、礼に反するような気もするので、どうでもいい、年頭の挨拶文のようなものを、封書で送っています。パソコンメールで、メッセージを送れば、無料ですが、郵送だと、全員分で15000円くらい、費用がかかります。15000円あれば、キングダムが、1~25まで、25冊購入できます。デフレの時代なのに、郵便料金は、上がり続けて来ました。郵便と云うのは、費用的にもうpayしません。それと、民営化されて、労働環境が、劣悪になっていて、一年に1回くらいは、手紙が届かなかったりします。時々、配達員さんが、集合住宅のポストに郵便物を投函しているsceneを見かけます。16ビートくらいの早いテンポです。間違えて、別の号室のポストに投函すると云ったことも、当然、ありえます。ウチは2-203ですが、3-203、8-203の郵便物が、間違えて投函されてたりします。どの道、郵便システムは、より一層、衰退します。システムの衰退に合わせて、私もどこかで、封書郵便は、リタイアします。そうすると、パソコンに頼らざるを得ないわけで、パソコンからはリタイアできません。まあ、これは時代の趨勢ってやつです。

 電話のかけ方も、品格が必用です。「今、お電話よろしいでしょうか」と、相手に訊ねるのは、最低限のマナーです。が、日本人は、忙しくてダメでも、無理して喋ってしまいます。で、長話になって、その日のスケジュールが狂ってしまうなんてことも、昔はよくありましたが、今は、SNSを使っての連絡が大半ですから、電話の長話は、ほぼなくなってしまいました。私は、電話の長話を、嫌と云うほど経験して来た世代です。どうでもいい話を、電話でgdgd喋るのは、結構好きでしたが、もうそれはなくなりました。黒電話をずっと持っていました。黒電話は、ダイヤルを回して、相手につながります。あの絶妙の間が、良かったんです。プッシュフォーンになって、あの間がなくなり、「ぴぽぱぽぴぽ」で、しゅつと繋がって、「何かなぁ」と云う違和感を持ちました。便利になりすぎてはいけないと警戒はしていますが、便利に慣れてしまったら、もう後戻りはできません(ですからメルカリで黒電話を購入して、教え子に迷惑電話をかけると云ったことは、しません。もし、留守電に「オレオレ、ニシモリだ」と云う声が入っていても、それは私ではなく、誰かのフェイクです)。

 得意料理を持つことも、品格を高めるパーツのひとつのようです。私は、女房が、母の介護をしてくれていた3ヶ月間、3人の子供たちの食事を作っていました。買い物と調理のために使える時間は、全部で3時間です。それ以上の時間を使ったら、教師としての自分の仕事のレベルが下がってしまいます。3時間と云う時間の制約があるからこそ、様々な工夫を凝らそうとします。時間内に3人分の料理ができないと、睡眠時間を削ることになります。調理は、いろんなことを同時進行で、進めて行きます。調理に品格があるかどうかは分かりませんが、間違いなく、脳は活性化します。普段、使ったことがない部分の脳を使っていると云う気もします。ただ、子供の食事を作ることだけで、手いっぱいで、自分自身の食事などは、疎かになります。が、子供たちのために、ひたすら買い物をして調理に没頭した、3ヶ月間の体験は、貴重でした。家庭の主婦が、どれだけ苦労して、時間のやり繰りをしているのかと云うことも、薄々ですが、理解しました。品格は別段、身につきませんでしたが、人生の大切な知恵のひとつは、間違いなく、獲得したと思っています。

 古典を読む趣味を持つことも、品格をupさせることに貢献するようです。が、古典は、そう易々とは読めません。ごく自然に古典に親しめるような方は、そうそうは、いない筈です。これは、子供の頃に、どれだけ古典に親しめたかどうかで、その後が決定されてしまいます。古典を読む、国文学系のファミリーの子供でしたら、その後の人生の様々な場面で、古典に慣れ親しんで、品格を発揮できるんだろうと想像しています。

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