自#468「夏は好きですが、冷房が苦手です。電車の中とか、駅ビルのあのきつい冷房を、もっとゆるくして欲しいです」

          「たかやん自由ノート468」

 歳を取ると、いろいろ我慢強くなります。私は冬も、冬の寒さも嫌いでした。南国土佐で、暑い夏に生まれましたから、関東平野の冬のからっ風は、生理的にもちょっときついなと、上京した頃は、ずっと感じてました。が、慣れました。からっ風くらいは、もう普通に我慢できます。我慢できるどころか、一応、ウィンドブレーカーのフードは被りますが、冷たいからっ風をenjoyする余裕すらあります。雨ももう嫌いではありません。雨の日の方が、部屋の中で、落ち着いて本を読むことができます。天気晴朗な、sereneな日は、外で身体を動かしたいという欲望が、どこかにあるので、集中できません。「晴耕雨読」というのは、人間の生理的機能を勘案した上での、四文字言葉だと言えます。
 8月は、自分の生まれ月だから、夏が好きだと、三好達治は言ってました。が、晩年、一時期、福井県の三国に住んでいました。三好達治の詩をリスペクトしていた私は、三国に何度か行ったことがあります。冬になると、東尋坊から北西風が吹きつけて来る、とんでもなく寒い土地です。が、まあ人間は我慢できるようになります。萩原アイさんと同棲して大失敗するんですが、無論、同棲の大失敗も耐え忍びました。
 三好達治の「花筺」が、つまりエリッククラプトンのレイラのアルバムのような詩集です。序は「遠き山見ゆ」という詩です。最初のフレーズは
 遠き山見ゆ
 遠き山見ゆ
 ほのかなる霞のうへに
 はるかにねむる遠き山
です。
 私は、大学4年の冬、井の頭公園の傍にあった、スペイン料理の店の雇われマスターを、一時期、引き受けていたことがあります。マスターがスペインに行ってた時、私が店を預かっていたんです。一人で山に登って、写真を撮っていたYくんという友人がいて、Yくんの鹿島鑓の写真を見て感動し、Yくんの山の写真を、スペイン料理の店の壁にディスプレイして、山岳写真展を二週間くらい、開催しました。その時、三好達治の「遠き山見ゆ」の詩のフレーズを使って、案内のDMを作成しました。
 山が好きだった三好達治は、鹿島鑓も取り上げています。
 昼の雲
 舟のさまして動かざる
 鹿島鑓てふ
 藍の山かな
 写真展を開催したことがきっかけで、三月の初旬、Yくんは、八ヶ岳に連れて行ってくれました。Yくんと、やはり仲が良かったM先輩と、私の三人です。生まれて初めての登山が(尾根歩きでしたが)冬山でした。YくんとM先輩はベテランでしたが、私は、まったくの素人です。今考えると、危険極まりない、大冒険でした。
 八ヶ岳に行く前に、Yくんは、大塚の登山靴専門店に連れて行ってくれて、登山靴を買いました。5万円でした。5万円あれば、アメ横で、モンブランの極太万年筆が買えます。すでに一本、持っていました。もう一本買って、セピアのインクを入れて、黒とセピアの二色を使い分けたいと思っていました。字が下手だったので、ツールには、こだわりたかったわけです。この頃は、銀座の伊東屋や鳩居堂、新宿世界堂などに置いてある西洋紙は、紙の質感、インクの乗り具合など、かなり細かいとこまで精通していました。
 五万円の登山靴を買ったので、大学卒業後、郷里に帰ってから、石鎚や剣山といった四国山脈の山々には、相当な回数、登りました。社会人になって、勤め始めてから、ようやく身体を鍛えることの大切さを、知ったと多分言えます。
 三好達治は8月23日生まれなのに(ちなみに私は8月25日です)8月の詩は、書いてません。「七月は鉄砲百合」という詩があります。
 七月は鉄砲百合
 烏揚羽がゆらり来て
 遠い昔を思はせる
 七月はまた立葵 色とりどりの
 また葡萄棚 蔭も明るい
 彼方の丘の松林 松の香りに蝉の鳴く
 郷里にいた頃は、鉄砲百合など、夏になると、そこら中で見ました。烏揚羽も飛んでいました。蝉は、昼寝できないくらい、煩く鳴いていました。
 私は、毎日、玉川上水沿いを走っています。立葵は、土手に咲いています。鉄砲百合は見かけません。そのかわり、ノカンゾウのオレンジがきれいです。セミは、そろそろ、かなかなが、鳴き始めます。烏揚羽を玉川上水で、見たことはありません。長年、井の頭公園の近くに住んでいました。公園にも、烏揚羽はいません。公園の害虫を、おそらく農薬で処理しているので、烏揚羽が生息する余地がないんだろうと想像しています。
 私が三好達治の詩に興味を持ったのは、国語の教科書に
 あはれ花びらながれ
 をみなごに花びらながれ
 をみなごしめやかに語らひあゆみ
 うららかの跫音空にながれ
 をりふしに瞳をあげて
 翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
 み寺の甍みどりにうるほひ
 廂々に
 風鐸のすがたしづかなれば
 ひとりなる
 わが身の影をあゆまするいしのうへ
と云う如何にも、高校生の男の子が、好みそうな詩が掲載されていたからです。あまりにもベタな詩です。今まで、この詩が、三好達治を読むきっかけだったと、誰にも言ったことも、書いたこともないです。が、事実です。岩波文庫の三好達治の詩集は、高校時代の私の座右の詩集でした。宮沢賢治の方が、詩のレベルは上かもしれませんが、仏教的な悟りと、高みが、高校時代は、理解できませんでした。今なら、仏教的な悟りも高みも、ある程度、判りますが、高校時代に熱中しただけに、三好達治の方が、気楽に読めます。三好達治は、萩原朔太郎の弟子です。萩原朔太郎の詩は、日常レベルを超えています。詩が詩でないものを排除して、超越しているという意味で、萩原朔太郎の詩が、日本の詩の中では、おそらくNo1なんだろうと思います。が、私は、一番じゃなきゃいけないなどとは、爪の先ほども考えてません。自分が気に入れば、それでいいんです。三好達治の詩は、ポップで大衆的です。ポップで大衆的で、ベタな詩が好きなのに、日本の歌謡曲とかには、まったく興味がないのは、自分でもちょっと不思議です。音楽となると、リズムや和声が絡んで来ますから、歌詞だけを見て、いいってことには、ならないんだろうと想像しています。

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