自#552「中学時代に使っていた日記帳にゴッホの『種まく人』の絵が掲載されていました。いい絵だなとは感じましたが、こういう地味で、根性の必要な仕事は、自分には無理だなと、ずっと思ってました」

          「たかやん自由ノート552」

 ブリューゲルの絵を見ました。世界史の資料集に掲載されているブリューゲルの絵は「バベルの塔」と「農民の婚宴」くらいです。農民を描いた作品が多いので、「農民画家」といった紹介をされてたりします。ブリューゲルは、ヒエロニムスボッスの影響を受けて、ボッス風の黙示録的な絵も、描いていますが、そういう絵は、教科書にも資料集にも紹介されてませんし、あまりにもコア過ぎますし、私もそういう絵を、生徒に見せたりはしません。が、これって、たとえば、沖縄に修学旅行に行って、ビーチでカヤック体験をしたり、美ら海水族館でジンベエザメやイルカを見たり、国際通りでショッピングをしたりといったエンタメ系のみenjoyして、嘉手納の米軍基地も、ひめゆりの塔&資料館も見ないで、帰って来るのと、似たようなものかもしれないと思ったりもします。ドストエフスキーは、「悪魔がいなければ、創り出さなければいけない」と言ってました。悪魔がいるかどうかは、別として、悪魔的な世界観のものを見せないのは、片手落ちかもと、考えたりはします。
 絵画の修復の技術を教える専門学校(認可されてない私塾ですが)を卒業して、イタリアに渡って、フィレンツェの工房で、修復の見習いの仕事をしていた教え子(女の子)が、修業の途中で帰って来てしまいました。
「キリスト教のあのおどろおどろしい感じが、自分には無理でした」と、言ってました。おどろおどろしい感じというのは、つまり黙示録的な世界観のことだと思います。私も、授業では、キリスト教のおどろおどろしい感じは、教えてませんし、修復の専門学校も、そこはスルーしたわけです。彼女にヒエロニムスボッスの絵を見せてあげていれば、フィレンツェ行きの失敗はなかったのかもしれません(いや、人生はトータルで見るべきものですから、失敗かどうかは判りませんが)。
 ブリューゲルも、農民画家と言った、シンプル極まりないネーミングでは、絵の本質には迫れません。ブリューゲルが活躍した16世紀のネーデルラントは、大混乱時代です。ブリューゲルの絵のそこかしこに、その大混乱のカオス、カタストロフィー、悲劇が、ちりばめられていると、多分、言えます。
 ブリューゲルの絵を、ちゃんと見たのは、20代後半の土佐中村時代です。当時、付き合っていた彼女もいません。車にも凝ってません。役所の同僚は、フェアレディZやスカイライン、サバンナ、セリカなどに乗ってたりしましたが、私は、5万円で買った、中古のカローラです(もっともカーステレオは、その六倍の30万円の機器を購入して載せていました)。車は単なる移動手段として、必要最小限度、使っていただけです。ヒマを持て余していた時代です。そういう時期じゃないと、ブリューゲルのたとえば、「ネーデルラントの諺」とか、「子供の遊戯」といった絵のディティールを細かく、きっちりと詰めて見たりすることはできません。土佐中村時代が、白玉2ビートくらいのテンポだとすると、その後のフルタイムの教員時代は、16ビート以上のテンポの慌ただしい日々を、過ごしていたと客観的には言えそうな気がします。
 ブリューゲルの「種まく人の譬えのある風景」の絵を、初めて見た時、結構、驚きました。私が知っていた「種まく人」は、ゴッホorミレーのそれです。畑の農夫が、種をまいている、ただそれだけを表しています。この主題は、ルカ伝の8章で説明されています。「種はよい土地に落ち、生え出て百倍の実を結んだ」、これがサビのフレーズです。真摯で実直な農夫が、よい土地に種をまくsceneを表現すれば、それで必要かつ充分だと言えます。ミレーの作も、ゴッホの絵も、聖書の世界観を、過不足なく描いています。ブリューゲルの絵は、聖書の世界から、大きく逸脱しています。タイトルを見ない限り、何を描いた絵なのか判りません。タイトルを見て、つまりこの手前の人が、種まく人なのかと、理解するわけですが、農業に不案内な私の目から見ても、お世辞にも良い土地だとは、言えないような気がします。海からの風が、強烈に吹きすさぶような、荒れた丘の斜面に、農夫は、種をまいてます。川と海とが接する河口に面した丘です。海にも川にも、船が沢山浮かんでいます。河口の対岸は、港になっていて、街の塔も見えます。遠景には、峨々たる山脈も聳(そび)えています。ルカ伝が、エルサレムで書かれのか、はたまたシリアorギリシアで執筆されたのか、寡聞にして知りませんが、ブリューゲルが描いているのはアルプスの山々です。聖書(旧約、新約どちらも)と、アルプスの山々とは、正直、ちょっと結びつかないような気もするんですが、何をどう描こうと、最終的には画家の自由です。
 私は、川と海は好きです。川や海のあるところで、幼年時代を過ごしたからだと思っています。山が好きかどうかは微妙です。若い頃、四国の山に登りましたが、それは、山が好きだからというより、身体を鍛えることが、主目的だったような気がします。有酸素運動をするとすれば、山登りがベストだと、その頃も、今も、確信しています。井上靖さんの「氷壁」は、三回読みました。山で死ぬのは、自分はちょっと嫌かなと、都合、3回、確認してしまいました。ロッククライミングは二回経験してリタイアしましたし、冬山にも、5、6回しか行ってません。海で死ぬのは、全然、平気です。生物は、海で生まれて、最後、海に還ると考えた方が、土から生まれて、土に還るよりも、はるかにnaturalかなと、普通に思っています。
 農業をやり切れるだけの根性は、今の私にはもうないと推定できますが、海の見える丘の斜面に果樹を植えるといったボランティアなら、やってもいいかもと、考えたりはします。南宇和では、海に面した丘の斜面にみかんの樹が、沢山、植えられていました。秋の終わりくらいにみかんは、たわわに実るんですが、暖かくて、癒やされる景色でした。みかん畑の風景を見ることも好きですが、みかんそのものも普通に食べます。ブリューゲルの種まく人には、オレンジとかレモンといった柑橘系の種をまいて欲しいと願ってしまいます(まあ、果樹は挿し木で増やすものだとは推測できますが)。
 イカルスが墜落する絵でも、ブリューゲルは、丘の斜面で、農夫が牛に牽かせた有輪犂を使って、畑を耕している光景を描いています。タイトルを見ない限り、イカルスが墜落しているといった風なことは、思いつきもしません。そう言えば、足のようなものが、海面から出て、ばたばたしてるなと、ようやく気がつくくらいです。溺れているイカルスの傍に、軍艦が浮かんでいます。これが、当時、ネーデルラントを不幸に陥れていたスペインに抗議する、寓意画なのかどうかってことは、私には判りませんし、絵と政治とを、無理やり結びつけるという絵の見方は、邪道だとも思っています。ただ、16世紀全体を覆っている暗雲というか、不安は、ブリューゲルのどの絵にも感じ取れます(明るい絵は、一枚もないと言っても過言ではないです)。

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