自#975「16、7回、教員採用試験を受けて、合格した話を聞きました。16、7回採用試験を受けて、合格しなかったとしても、その失敗体験は、生かせます。要は、心の用い方次第です」

           「たかやん自由ノート975」

「さらば学力神話」という単行本を上梓された、Y高校の元校長のI先生が、「ぼうず校長のシン教育改革」という講演会を、図書室で実施するという案内のメールが、副校長から届いた。図書館の先生とは、日頃から親しくしているし、図書室でのイベントに多少なりとも協力したいという気持ちもあって、start時刻の10分ほど前に、図書室に出向いた。
 私が冷房嫌いだということを知っているので「窓際の方が、冷房は弱めです」と、司書の先生がアドバイスしてくれた。
 図書館とPTAの共催で実施するであろう(実際は違っていたが)講演会を聞きに来るのは、基本、お母さん方だろうと勝手に想像していたが、まったく違っていた。
 さすがに暑い盛りなので、スーツは来てなかったが、白いワイシャツにネクタイを締めた若い男の子か、白のブラウスに黒スラックスの若い女性が、メインのお客さんだった。 講師のI先生は、青いポロシャツに白いチノパンで、カジュアルな服装だった。一緒に同行していた年輩の方々は、ネクタイを締めていた。スーツ姿の人もいた。
 教員採用試験の一次試験免除か、あるいは一次試験に合格し、二次試験の面接を控えている人たちが、模擬面接のために来校して、その前説の講座として、I先生の講演会が開催されたと言うことを、全体の空気を読み取って、理解した。とんでもなく場違いなとこに来てしまったなとは思ったが、私は、場違いな所で、浮きまくっても一向に平気だし、取り敢えず、講演は聞いておこうと、そのまま、窓よりの席に着座していた。
 青いポロシャツのI先生は、フレンドリーで、気さくだった。年齢は、私よりも少し年下。小柄だが、低音の大きな声を出せる人だった。こういう声を出せるのは、昔は、魚屋か、体育の先生だった。今は、どちらも、もうこんな声は出さない。こういう声が出せるのは、今や絶滅危惧種の生き残りの先生だけだと理解した。
 講演の話しは、あっちこっちに飛んだ。が、I先生の中では、きちんと繋がっていた。そのつながりの部分のミッシングリンクは、講演を聞いている人間が補足する必要があった。まあ、基本、私も同じような喋りを、日頃からしているので、親近感を持った。
 A高校の校長時代の話を主にされていた。年寄りでは、もう学校を変えられないので、毎年、5、6人、新採を採っていたと仰っていた。生徒指導が極めて困難な、A高校に、横転で、すんなり来てくれる人は、いないので、どうしても、新採頼みになってしまうんだろうと想像できた。が、そんな昔の話でもない。I先生が、A高校を改革をされたのは、2008年以降。赴任して来た新採の先生はZ世代とは言えないが、Y世代くらい。昭和の終わりか平成の初め生まれ。昭和のど真ん中で、生まれて育った私に言わせれば、Z世代だけでなく、Y世代もX世代も、すべて新人類。
 新人類の特徴は、メンタルが弱いこと。今でも、学校現場で、週5日は過ごしているが、年寄りは、それなりに狡くて図太く、若手は、優しくて華奢な感じがする。若手の方が、感性は細やかだし、生徒との親和力も高く、IT系の能力も高いと理解しているが、メンタル面で、年寄りには打ち勝てない。
 令和の学校現場では、豆腐メンタルでは、やり切って行けない。簡単には折れたりしない、鋼のメンタルが要求されている。
 今、私の目の前で喋っているI先生は、明らかに鋼のメンタルをお備えになっている。が、I先生の講演を聞いたら、多少なりとも、鋼のメンタルが身につくといった簡単な話では、勿論ない。
 I先生は、教員採用試験に16、7回落ち続けた国語の先生の話しをしていた。模擬面接の様子をビデオ撮りして、I先生は見てみたが、確かこれは落ちると、確信されたらしい。要するに、臨機応変の対応が、まったくできない。想定外の問題が出ると、パニックを起こす。圧迫質問を受けると、即座に心が折れる。が、17回目か18回目に、とうとう合格した。ずっと、非常勤講師なり、産休代替なりをやっていたので、面接点が低くても、教員として充分にやって行けると、判断して貰えたんだと推測できる。で、今は、M総合高校で活躍されているらしい。
 16、7回落ちて、つまり16~17年間も、ずっと辛い状況に置かれて、苦しみ抜いたその経験は、間違いなく、彼のメンタルを鍛え抜いてくれたと想像できる。
 優等生として、学校時代を過ごし、教員採用試験にも一度で合格したような、挫折感、失敗体験が限りなく少ない若手の先生が、いきなり生徒指導の難しい問題などを抱えてしまうと、模範解答を出すことができず、生徒と同じように、不登校になってしまうのかもしれない(実際、私がここ四半世紀の内に見た登校拒否の先生はすべて、新採か新採に近い若手の先生だった)。
 A高校から、年間140人の退学者を出していた時、教員は、一人も辞めなかったらしい。辞めて行く生徒を、140人から60人まで減少させる教育改革を、実施した所、今度は、先生の方が、次々お辞めになったらしい。このヘンの経緯は、嫌というほど、私には理解できている。
 私が全日制のA高校から、定時制のK高校に異動したのは、今から30年以上前のことだが、心の病を抱えている生徒は、どっさりいた。教員の3、4人がチームを組んで、一人の生徒をケアすることは、何とかできる。が、現場の状態は、一人の先生が7、8人の心の病を抱えた生徒をケアしなければいけない状況だった。手をかけず、放置していれば、手のかかる大変な生徒は退学して行く。別段、教員が、意図的に退学させるわけではない。ごく自然な流れとして、そうなる。このごく自然な流れに棹さして、生徒の学び直しに、全精力を注ぎ込むと、教員自身が、負担に耐え切れなくなって、つぶれる。
 I先生は、今年の夏の始めに、西多摩地区の都立高校9校と、地元企業、NPOなどと合同で、夏祭りを企画し、実施したらしい。学校が、単体で閉ざされていると、先生も生徒も、閉塞感を感じる。横に繋がるチャンネルを作って、何らかの形で、情報、人、モノが行き来できるシステム作っておけば、学校単体よりも、逃げ道、逃げ場が間違いなく増える。私は、J高校でのバンドの部活顧問時代、周囲の学校や、あるいは離れていても親しい学校とは、ネットワークを拵えていた。そうすると、生徒は、自分の学校では、居場所がなくても、他校の生徒と、バンドを組んだりした。教員も、自分の学校の状態を、より客観視することができて、何をどうするのかの方向性を、見定めることもできた。
 取り敢えず、横の繋がりを作るだけでも、一歩前に踏み出せると、確信できる。

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