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渡米12日目 別にこんなところ来たくて来たわけじゃない

家族でアメリカに来て二度目の日曜日。朝4時に目が覚めて引越しの慌ただしさで更新できていなかったブログを2日分更新して、昨日近所の酒屋で買ってきたピルスナーを飲むと二度寝してしまった。どうも近くにビールがあるとやはり手が伸びてしまう。今日は日曜日だからいいが大学が始まったら、ビールを飲んで眠くなったら寝るというような生活をしているわけにもいかない。ちょうどいい機会だし、やはり購入は控え目にしようと思う。

昼前に目を覚ますと、妻がある程度埋めてくれた子ども達のかかりつけ医の問診票に保険などの情報を埋めた。フォームだけで6−7枚あり、質問も多岐に渡る。プールが好きな次男が入りたがっている地元の水泳チーム、ドルフィンズは9月5日にトライアウト(選抜試験)が控えていて今、Waitlistを受け受けているが、なぜかemailを入力しても弾かれてしまう。まだ正式にブルックラインの学区に入れていないからだろうか。情報収集を進める。

明日、アメリカはLabor Day(労働者の日)で祝日となるが、火曜日からいよいよ秋学期が始まる。オリエンテーションで出会ったクラスメイトが親切に火曜日のクラスがどこで行われるか、教室を調べて送ってくれた。授業の情報などが学生ポータルを通じて掲示される仕組みとなっているが、まだどこに何の情報があるかもわかっておらず、こちらで購入したiPhoneもセットアップが終わってからいないため、情報難民のような状態が続いている。

こちらに来てからずっとホテル暮らしや引越し騒動が続いていて、子どもたちから「日常」というものを見失ってしまっている。次男はやるべきことを見つけて、家族のために献身的に色々と手伝ってくれるのだが、長男は、スマホとゲームばかりをしている。彼がどれほどの喪失感を抱えてここにやってきたのかを知っているし、勉強など何かに集中するにもまだ生活環境のセットアップを進めている最中だから、ある程度今は好きにさせておくことにしていたが、せめて通っていた塾の英語の宿題をやるように言っても

「やだ」

の一点ばり。ついにスマホやゲームを取り上げても、一向に机に向かおうとしない。13歳になった彼に、やるべきことをちゃんとやるようにと声を荒げても逆効果だった。

「別にこんなところ来たくてきたんじゃない」

そうはっきりと口にするわけではないが、いま長男の心の中にあるのはそんな思いだと思う。まだ学校も始まっていないし、友達もいないし、本人は今、方向性を見失ってしまっている。

渡米前に大阪に帰省した際、すでにほぼ子育てを終えた幼馴染み言われた3つのアドバイスを思い出していた。

1)子どもをコントロールしない
2)環境を整える
3)妻が住みたい場所に住む

自分が中学生の頃、何を感じていたか。

「教科書は何も教えてはくれない。明日のことなど誰もわからない」

TMネットワークが好きで、その中にセルフコントロールという曲があった。大人や親や学校がいうことに疑問を持ち始め、好きなバンドやアーティストが歌う歌詞の中に、自分なりの道標のようなものを探してはいなかったか。メロディよりも歌詞に祈るような気持ちで耳を傾けていなかったか。だから歌詞がダメなアーティストは信用しなかった。

僕はずっとその頃から地続きで生きてきた感覚でいる。だが、長男が13歳になって、これまでと同じように何かを伝えても今までと同じように彼が反応したり、行動したりしようとしない姿を見るときに、13歳だった頃の僕自身のことを振り返り、一度記憶の底に降りていって、自分が今彼と同じ状況に置かれていたらどう感じるか、どうして欲しいか、あるいはどうして欲しくないか、想像を働かせてみることが必要ではないかと感じた。そこを改めない限りは、ここでどれだけ大声で彼に命じたり、何かを押し付けたりしても逆効果だろう。きっとそれはまるで北風と太陽のようなものだ。

僕は長男に宿題をするようにというのをやめて、ただ中毒気味に、いや完全な依存症になっているスマホとゲームを預かって、彼のモチベーションが回復するのを待つことにした。それでもそれから2時間ぐらいは不貞腐れたようにソファーで横になっていた。弟が兄を気遣って、昨晩からセットアップを始めたドラムセットのダンボールなどを片付け始めた。遅めの昼ごはんを食べた後で、長男は弟とふたり、段ボールから取り出したままでまだ組み立て前の状態で放置されていた電子ドラムを組み立て始めた。夕方、最終的なケーブルの繋ぎ方がわからないので調べたいからスマホを貸して欲しいといい、スマホを手渡すとYouTubeで検索し、何とか無事にプロも練習用に使うレベルのローランドのTD-07KBを組み立てた。この電子ドラムはヘッドホンにWi-Fiで音楽を転送することができるので、様々な曲を再生しながら、リズムを刻む練習をすることができる。

組み立てが終わった後で、長男は最近次男が一番気に入っている優里の「シャッター」を流したりしながら、ずっとドラムを叩いていた。僕もその間、大学の情報を整理し、スーツケースの中の衣類や書類などをおく場所を決め、現地スマホの設定を進めるなど夕方妻と少し買い物に出る以外には、ほとんど外出もせず家の中で新生活をセットアップを続けた。

夜21時過ぎになり、ようやく長男が英語の宿題をやって持ってきた。答えが見つからないから、答え合わせをして欲しいという。会話の読解問題だった。今年の冬から英検5級対策を一緒に勉強していた頃の内容からは格段にレベルアップした内容になっていたが、ほとんど正解していた。本当に自力で解いたのかと疑いたくなるほどの出来だった。

なぜもっと相手を信じようとしないのか。僕はとてもドジなくせに、いやドジだと自覚せざるを得ないほど散々失敗して痛い目に遭ってきたからかもしれないが、変に用心深くて、何かにつけて疑ってかかってしまう傾向がある。それがジャーナリズムという仕事に置いては不可欠だったりもする。詰めを怠らないから人に騙されることも少ないかもしれない。でも、疑うべきではない相手までも疑っているとしたらどうだろう。正直、自分はとても嫌な人間だと思うことが多い。そして最近、心から思う。時には、例え人に騙されても、人を信じきるぐらいの心がある人の方が魅力的ではないかと。

なぜ子どもが自ら伸びようとする力を信じようとしないのか。

先日、幼馴染がこう僕に問いかけた。

「ほな、自分も中学生の時、親にコントロールされるの好きやった?」
「いや」
「せやろ。ほな、どうしてそれを子どもにしようとすんのよ」

彼が僕に伝えようとした、親にできることは環境を整えてあげることぐらいが精一杯だという言葉を反芻している。そして最後に彼はこうフォローしてくれた。

「タカヤは自分を成長させる環境を作る天才なんやから、それを子育てにも発揮したらええねん」と。

確かにそうやな。僕は自分自身をどういう環境に放り込めば、自分が成長するかをよく知っている。だから今回、この歳にして今後表現者として生きていく上での自分自身を成長させる上で、一番最適と思える場所と時間を確保するルートを見つけ、ここボストンまで家族を連れてやってきた。そしてそれは家族にとってもきっといい成長の機会になるであろうことを僕は直感的に知っている。だからこそ、僕が彼らに対して、今どんな環境を用意してあげることができるか。何をしてあげられるか。あるいは何をしないでいられるか。そうしたことが全て問われているように感じる。

もう一度、僕も13歳のあの頃を生きるような感覚に立ちかえる機会を得ているのだと思う。それはクリエイティブにとってもいい機会だ。

「ねえ、今日本何時?」

23時過ぎに長男が僕にこう聞いた。

「多分お昼の12時過ぎかな」
「いいなあ」
「どうして?」
「だってみんな昼休みじゃん。楽しいだろううな」

そう笑顔で少し残念そうに話す長男を見ていて、本当に申し訳ないことをしたとしみじみ感じ、もっと親身になって彼の置かれている状況を理解して、こちらでもいい環境を整えてあげたいと心から思った。

Day11 20230903日3053ー3205ー3220

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