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渡米21日目 「私、こっちにきたことを後悔している」

「私、すごくストレスが溜まっている。こっちにきたことを後悔している」

妻がそう言った。今日はFiction Film Directing(フィクション映画監督クラス)の二日目が控えていて、朝からもはや一刻の猶予もないというスピードで課題の仕上げに取り組んでいた。提出しなければならない課題が3つあり、そのうち2つは昨日までに書き上げすでにネイティブチェックも済んでいたものの、まだ3つ目の課題が終わっていなかった。そこに妻がやってきた。

「少し落ち着いたら、と思っていて時間が経っちゃたんだけれども・・・」

朝8時過ぎ、僕は課題をこなしていた作業の手を止めて話に耳を傾けた。

「実はずっと咳が続いていて、ただの咳ならいいんだけど、咳をするたびに血の味がする。調べたらガンとかいろんな可能性もありそうだし、病院に行きたい」

そうだったんだ。きっと僕が毎日忙しそうにしているから、言い出しにくかったんだよね。ごめんね・・・。できれば日本人の医師に診てもらいたいと、まずは僕たちがこちらでかかりつけ医として期待しているブルックラインのYuko Family Medicineに電話してみた。

「診察の予約はとっていますか?」
「いえ、子ども達は10月に予約をとっているのですが、妻はまだ」
「予約がないと診察できません」
「せめてYuko先生に電話で少し相談に乗ってもらうことはできませんか?」

もどかしい気持ちで英語でこちらの要望を伝えたが予約がないと対応できないの一点張り。そして次の予約が取れるのは10月以降になることは必至だ。どうやらこれ以上、このクリニックに何かを期待することはできないみたいだ。

次に家族が提携した保険会社のAIGに妻が連絡し、ブルックラインやボストン近郊で日本語対応が可能な医師がいないか調べた。ハーバード大学に近いケンブリッジにひとつ病院を見つけ早速電話してみたが、やはり医師本人にはつながるはずもなく、ひとまず受付に英語で状況を説明した。

「予約は来年1月まで立て込んでいます」
「せめて日本人の医師に、電話で少しだけでも話をさせてもらえませんか」「もし彼の手が開けば折り返すように伝えはしますが、多分難しいと思います。何かできそうであれば折り返しますが・・・」

全く一歩も進まないやり取りを繰り返しているうちに、課題をこなすために空けていた時間が刻一刻と減っていく。心の中に余裕がなくなって、ストレスが溜まってくるのがわかる。少し落ち着こうとようやくシャワーを浴びていると、折り返し電話がかかってきたと妻が入ってきた。

「ごめん、寒いしめて!」

妻にもついきつい口調になってしまう。急いで体を拭き、電話でやり取りを再開するがやはり日本人の医師は対応できないため、近くのEmergency Care(救急医療)にいくようにと言われる。妻も以前一緒にNYに住んでいたこともあり決して英語が話せないわけではないのだが、やはり医学的なやり取りになるとブランクもあり、苦手意識があるのがわかる。そこは僕がカバーしてあげたいところなのだが、今日は大学の授業が控えていて、これ以上身動きが取れない。

結局、Emergency Careに行くしかないのか・・・

それだとどれだけ時間を取られるかもわからない。保険に入っているとはいえそれなりの金額もかかりそうだ。どうしよう。ひとまず知りたいのは、”咳をした時に血の味する”という彼女がこれまでに経験をしたことがないという症状がどれだけの深刻度と緊急性を要するものなのか。そのシンプルな答えを得る足掛かりすら得ることができずに正直とても苛立っていた。

そこで、以前ある取材でお世話になった敬愛する救命救急医であり、その後大親友になった医師にLINEで妻の症状を伝えたところ、RSウイルスやCovidの可能性が高いのではないかとのこと。また、妻には心配するので知らせないほうがいいかもしれないが、アメリカはいまだに肺炎患者も多いので、保険との兼ね合いもあるかもしれないが、詳しくみてもらうのがいいのではないかとのアドバイスを頂いた。

「私、すごくストレスが溜まっている。何もかも不便だし、買い物するとたかやくんには怒られるし。車もなくてどこにも行けないし。だからにアメリカ物価高いよって、私日本にいるときから言ってたよね」

昼前にそう妻が言った。返す言葉もなかった。元々、こちらに積極的にきたがっていたわけではないし、ここブルックラインの郊外に暮らし始めて、やはり車がないとネットで色々と慣れない買い物をせざるを得ないし、その度に僕が高いねと言ったり、はたまた、日本から持ってきたスマホをWi-Fiに繋ぎっぱなしで3万円の請求が来てしまったことに対して昨日も苦言を呈したばかりだった。

「そうだよね・・・」

僕だって一杯一杯で言い返したい気持ちだってあった。でもここで僕が感情の蓋をひらけば、互いの感情がエスカレートして収集がつかなくなるだろう。朝から病院に連絡を取るのにかなりの時間を要していて、もう課題をこなすための今日の授業に間に合うかどうか瀬戸際のところまで来ていた。ここで何かを言い返しても建設的な方向には向かわない。

「今日は本当に課題に手一杯で動けないけれども、明日病院に行って検査してもらおう」

妻は咳が出るだけで体調は悪くないのでもし余裕があれば一人で病院に行くかもしれないと言った。僕はカップにコーヒーを注ぐと書斎となった奥の部屋に戻り、課題を仕上げ、14時過ぎに大学へと向かった。予定していた留学生課での面談を終えた後、授業の行われるパラマウント劇場に向かう途中、妻に電話した。妻はブルックラインでの生活について色々とアドバイスを頂いている共通の友人に連絡を取り、明日自宅から歩いて行ける場所にあるEmergency Careをやっている病院を紹介してもらったと話していた。なんの解決にもならないが会話のキャッチボールを続けることは、時に解決以上の何かをもたらすことがある。

Fiction Film Directing(フィクション映画監督クラス)二日目

16時から第二週目のFiction Film Directingのクラスに参加した。授業が始まってすぐに午前中電話をした病院から折り返し電話が入ったが、授業を中断するわけにもいかないので、後で折り返すことにした。だが要件はなんだったのかが気になって仕方がなかった。家族が皆元気であればこそ、僕も自分のやるべきこと好きなことに集中できるのだということを痛感せざるを得なかた。休憩時間に折り返したが、すでに病院は終わっていて、受付の人と話しても全く要領を得なかった。

授業では映画「ノーカントリー」(2007)の中のワンシーンを観察し、コーエン兄弟のどのような監督としての判断が名シーンを生んだかを皆で考察した。また映画監督Dee Reesがニューヨーク大学在学中に監督したブルックラインの黒人ティンネージャーの葛藤を描いた名作「Pariah」(2011)のあるワンシーンの脚本を読み込み、このワンシーンの中でもっとEmotional Event(心を動かされるパート)はどこかをそれぞれの監督の視点から見極めて、それを議論した。

そこには正解は特にはなく、監督としてどのセリフややりとりを際立たせないかが問われるものだ。議論はそれなりに白熱したが、4時間近くを議論だけで費やしてしまうのではなく、早くフィールドに出て実際に映画を撮りたいという気持ちが自分の中で渦巻いてきているのを感じる。最もこのクラスでも後半には実際にこのPariahの中から好きなワンシーンを選び、自分なりの監督的視点でこの映画を再現することになるのだが。

クラスの議論に参加していても、まだ自分が監督としてやっていくのに必要な言語を獲得していないことにもどかしさを感じる。10人のクラスメイトのうち、半数近くは中国からの留学生(時代の流れを反映してか、全体的に以前よりも中国人留学生が圧倒的に多い)で彼や彼女たちもやはり同じような葛藤を抱えているかもしれない。中には全く何も発言しない生徒もいる。


でも正直言って、みんな僕よりもちゃんとした英語を話しているように感じる。もちろん僕だって日常会話には事欠かないが、少し複雑な概念を英語で説明しようとすると言葉が追いつかずしどろもどろになってしまうこともある。自分の中の誰かが、僕にブレーキをかけようとする。だがそれを振り切って、考えるよりも早く言葉を発するように今は心がけている。ここでブレーキをかけていてもこの先の成長は見込めそうにないからだ。(今できないことを未来の自分がなんとかしてくれたなんて都合がいいことを、僕はこれまで経験したことがない)

もちろん、授業に臨むにあたって必要な準備はする。その上で必要なのは、わからないことをわからないままにしておかないこと。黙ってわかったふりをしていても仕方がない。そう自分に言い聞かせて、例えばBlockingやStagingなど、映画の撮影現場で頻出するが、わかったようでわからず自分で定義がうまくできない言葉についても、質問をすると教授のJuliaは「聞いてくれてありがとう」ととても丁寧に説明してくれる。こうして大学の4時間のクラスは、脳内をフル回転させて議論している間に、あっという間に終わった。段々、英語を英語のままで理解してもうどの言語だとか考えない感覚が戻りつつある。いい兆候だと思う。もっと成長しないとと常に思う。



帰宅中の地下鉄の中で、子どもたちの入学手続きについてPublic School of Brooklineからメールが届いていたことに気づく。昨日の英語テストの結果、正式に近所のWilliam H. Lincoln School(リンカーン小中学校)への受け入れが決まったことが記されていた。21時過ぎに帰宅して、送られてきたリンクを開くと、ウェブ上で38ページにも渡る質問票があり、中にはすでにPublicShool of Brooklineに提出したと重複する内容のものもあったので、正直そのボリュームにかなりぐったりときた。

しかし、例えば「子どもたちが新しい学校で学ぶ上で最もきにかけていることは何か」など具体的な質問が多く、学校側も子どもたちのことを本当に知ろうとしているのだということが伝わってきた。一日でも子どもたちを早く学校に通わせたい。疲れ果てながら、妻と協力して子どもたち二人分の質問票を埋め、1時過ぎに眠りについた。

Day21 20230912火2D+0704ー1247ー1312

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