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渡米10日目 ようやく引越、新生活無事スタート!?

ようやく間にちまったこの日がやってきた。ボストンに来てからこれまで10日間、ホテル暮らしを余儀なくされていたが、今日はいよいよブルックラインのコンドミニアムに入居する。

昨日、オリエンテーションが終わって帰宅してからすぐに寝落ちしていたが、4時半に目が覚め、息子達の現地校入校に向けた大詰めの作業を再開。本当は今週初めには終わらせておきたかったのだが、気づけば金曜日になってしまった。来週からは新学期が始まる。自分の処理能力の遅さには辟易するが、やはりアウェイな環境ということもあり、書類一つをスキャンするのにもわざわざFedExに出向いたりと、時間がかかってしまった。

現地校への入校審査には、パスポート、出生届、成績証明書などの本人に紐作り書類に加えて、実際にブルックラインに住んでいることを示す不動産の賃貸契約書、電気やネットなどの請求書または契約を示す書類を提出しなければならない。

電気会社のEver ourceのネット契約を進めているとはたまた事件が起こった。契約には現地の携帯とソーシャルセキュリティナンバー(SSN)が必要となるが、なぜかSSNが照合できないという。SSNは、アメリカ生活をスタートさせる上で基本となる極めて重要な番号。社会保障局が個々人に発行する9桁の固有の番号で、もともとは徴税用の個人特定が目的で作られたものだが、戸籍制度のないアメリカではSSNは個々の住民を認識するためのIDとして重要な役割を果たしている。例えば、銀行口座の開設に加えて、アパートや電気、ガス、水道、携帯、ネットなどのライフラインの契約など、生活の多くの場面で必要となる。多くの重要な個人情報がSSNに紐付いており、これなしにはアメリカ生活を立ち上げられないと言っても過言ではない重要な9桁の番号だ。私は前回の大学院留学の際に取得し、同じ番号を続けている。だが今回のようにはじかれたのは初めだ。

何かの間違いではないかと、実際に発行された9桁の証明書を見ながら、何度も入力し直すが、やはり照合できないとはじかれ、挙句問い合わせ先の電力会社の電話番号が表示され、手続きが振り出しに戻ってしまう。やれやれ・・・。毎日、ハプニング続きなのでもう驚きもしないが、まだ6時過ぎだからこの時間から問い合わせできるわけでもないし、今はできることをやるしかない。うんざりしながらも、次のタスク、ネット契約へと気持ちを切り替えた。

ネットはやはり全住民のご家族が使っていらしたX Finityという会社と契約を進めることにしたが、こちらはSSNを入れるとすんなり認識されうまくいった。当初は出費を少しでも減らすためにネットだけを契約するつもりだったが、ケーブルテレビも追加の20ドルで契約できることがわかり、やはり現地メディアの状況を少しでも把握しておいた方がいいと思い直し、400MB/BPSで月45ドルのネット契約に加えて、ケーブルも契約することにした。これで月々70ドル。日本円に換算すると1万円以上かかるのでやはり今の我が家にとってそれなりの出費だ。

家族が目を覚ますと再びスーツケース7つ分の荷物を皆でパッキングした。11階には、前回ここに荷物を運んでくれた、まるでボブサップを彷彿させる屈強な黒人ドアマンのリカルドがカートを持って荷物をピックアップに来てくれた。ひとつ30キロ近くもある7つのスーツケースをカートに積み上げて、荷物を下ろしてくれた。前回、リカルドにチップを渡した際に相合を崩して喜んでくれて、日本のお札を集めていると話してくれたリカルドのことを次男が気に入り、今回のお礼にと1000円札を自分のお小遣いから手渡すと、リカルドは声をあげて喜んでくれた。

僕はエレベーターホールから聞こえてくるその様子を嬉しく思いながら、フロントにチェックアウトへと向かった。一度は予約したはずの部屋がダブルブッキングされていてホテルを追い出されそうになった事案もあり感情的になったこともあったが、その後さらに条件のよい部屋を用意してくれたりと親身になってくれたホテル。ボストン到着後の9日間を過ごしたWyndham Boston Beacon Hlllホテルは家族にとって、かなり思い出の詰まった場所となっていた。支配人のポーリーにもお礼を伝えておいてほしいと言うと、ポーリーがわざわざ出てきてくれた。この後ブルックラインに家族で引っ越して新生活をスタートすることを伝えると、

「ブルックラインはとてもいい場所だから、お子さん達にとっても最高ね」

そう言ってくれて、僕は彼女と笑顔で握手を交わした。ポーリー、あなたのおかげでその後、家族で快適に過ごせました。ありがとう。

スーツケース7つに加えて、買いたての次男の電子ドラムと妻の仕事用アロマベッドを乗せる大型タクシーをリカルドが手配しようとしてくれていたが、今日はなんと言っても9月1日。新学期に向けて、僕たちと同じように多くの学生や家族がこの街で暮らし始める。彼の知り合いのドライバーもで払っていて、あるタクシー会社に電話すると2時間待ちだと言われた。いとこが日本の米軍基地で働いていることなど、世間話をしながら、ウーバーも含めて探ってみると結局一時間ほどしてようやく一台のタクシーが手配できた。

やってきたタクシーはセダンタイプやりは少し大きめの奥行きがある車両だったが、おそらくこれに全ての荷物は入らないだろう。後部座席を倒して全ての荷物をなんとか詰め込み、僕だけ助手席に乗って家族は電車で移動できばまだいい方ではないかと覚悟したが、30分近く格闘した後、まるでパズルを巧みに詰め込むようにして、なんとか全ての荷物を詰め込み、家族も全員タクシーに乗り込むことができた。見送ってくれたリカルドと最後に次男は写真を撮らせてもらい、13時過ぎにホテルを出発した。

ドライバーに料金を尋ねると50ドルでいいよという。メーターを倒していないし、それは走行距離だけで言うと相場よりもかなり高めなのだろうが、この荷物を文句も言わずに運んでくれるのだから、感謝以外の感情が浮かばなかった。ドライバーはナイジェリア出身でもう30年近く前にアメリカにやってきたのだという。タクシードライバーに元からアメリカで生まれ育ったと言う人は少ない。僕はニューヨークにいた頃からタクシードライバーと世間話をするが好きだがが、それぞれが、それぞれの人生の末にこの地にやってきていることをいつも感慨深く思う。


ボストン市内から30分近く走ると、いよいよブルックラインの新居に辿り着いた。重い荷物と家族を無事に運んでくれたお礼に5ドルのチップをつけて支払うととても喜んでくれた。今日はとても天気が良くて、こんな日には全ての願い事が叶いそうな気がする。ドライバーが下ろしてくれた荷物をエントランスの階段の上に運び込むだけでも一苦労だったが、家族で手分けをしながら2階の部屋まで全ての荷物を運んだ。特に、8歳の次男が廊下を小走りに走りながら頑張ってくれた。きっと8歳の彼なりに小さな体一心にいろんなことを感じていて、家族を支えようとしてくれているのだろう。そういう純粋な思いを感じると心の奥で涙が溢れそうになる。

Amazonで注文した折りたたみのマットレスを取り出す次男

14時過ぎにこの不動産を仲介してくれたリアルター(エージェント)であり、僕たち家族の友人でもあるジュリアンさんが買い出しのために、夫のアンソニーが釣り用に使っていると言う大きなバンを運転してコンドミニアムまで迎えにきてくれた。まだ電力会社との契約ができていない問題を解決できていなかったため、ジュリアンさんに連絡をしてもらうと、オペレーターが担当者に繋がるまで一時間はかかると言う。

ジュリアンさんも夕方から次の約束があるため、その間ただ待っているわけにもいかない。買い物に向かいながら対応することにした。だがしばらく繋いでいた電話が切れてしまった。この電力会社との契約が進まないと、現地校に提出すべき書類が揃わず、子ども達を新学期早々路頭に迷わせることになる。僕は再度掛け直し、「Urgent=緊急」であることを冒頭で自動音声に告げると、すぐに担当者に繋がった。

ジュリアンさんがハンドルを握りながら担当者と話を進めてくれて、僕は助手席でMacbookを取り出し、送ってくれたリンクにパスポートをアップロードするとようやくIDを照合できて、電力会社と契約することができた。子ども達を学校難民にすることはできない。だが、まだ契約したばかりで学校側に提出を求められている「Bill=請求書」を発行することができないため、少なくとも契約があることを示す「Statement of Service」を発行してほしいと担当者にリクエストすると、彼女は手際良く手紙を準備してくれていて、メールに添付して送ってくれた。

「Thank you so much!! You save our life!」
(どうもありがとう。あなたは私たちの命の恩人です)

「いえいえ、子ども達を学校に送るのに必要よね。全てうまく行くように祈っているわ。いいブルックリン生活を」

とてもフレンドリーに言ってくれた。僕はようやく全ての書類を整えて、16時前に入学を司るPublic School of Brooklineに書類を提出し、新学期初日の9月5日12時にオンライン面接を予約することができた。その間、家族が近所の日用品から食品までを扱うTargetでジュリアンさんが買い物を手づだってくれて車に戻ってきた。さらにその後、テーブルを譲ってくれるというブルックライン在住の日本人の元へ向かい、ショットガンのような形をした巨大な電気ドリルを用意してきてくれたジュリアンさんが手際良く、机の足を分解し、車に積み込んで17時にコンドミニアムに戻ってきた。

ジュリアンさんが合流してくれた3時間の間に様々なことが魔法のように片付いていった。僕たちには彼女の姿がとても頼もしく、もはや「ボストンの母」どころか「救世主」に見えた。僕たちはジュリアンさんに何度もお礼を言って、彼女を見送った。

ようやく部屋に戻るとクタクタだった。疲れていて目の調子もおかしい。部屋にはまだ昨日までここで暮らしていたTファミリーの荷物が、運送業者の事情で積み込めておらず、残っていたが僕は眠りに落ちてしまった。その間、息子達は力を合わせてテーブルを組み立ててくれた。

結局荷物は夜21時すぎにニューヨークから戻ってきた引越し業社がピックアップにやってきた。22時過ぎにマンションの管理人のマイケルと住民の代表という初老の男性がやってきて、

「こんな夜遅くに引越しをするのはルール違反だ」

開口一番そう言ったが、僕たちもこの状況に巻き込まれていると知ると気の毒がってくれて、別の住民が置いていったという折りたたみ式のソファーベッドを譲ってくれた。あのふたり、なんだか可愛いよねと妻がいい「マリオとルイージ」みたいだと僕も思った。

入居日に荷物が残っていて、転居先のカナダから遠隔で荷出しをしなければなならない状況になった以前の住人のTさんファミリーの奥様から何度も何度もお詫びの電話があり、ホテル代や家賃を日割りで支払うとの申し出もあったが、妻は「お互い様ですから」と笑顔で返していた。そんな彼女の心からの対応を見ていて、正直当初は今回の一連の騒動に巻き込まれた気がしていい気持ちがしなかった自分の心の狭さを恥じた。

引越し作業は深夜12時を過ぎても続いていた。荷出しがなかなか終わらず、かつ転居先のカナダの家が思っていたよりも狭かったこともあるとのことで、

「ご迷惑でなければ、少しでも引越しを早めに終わらせたいので、本棚や勉強机や掃除機をもらっていいただけませんか」

そう奥様から申し出があり、その申し出はこのボストンで家財道具を何も持っていない裸一貫の僕たち家族にとってはとてもありがたいものだったが、

「もし今回のことを気にして、僕たちのことを気にかけて下さっているなら、本当に気にしないでくださいね」

そう返事をすると「ぜひもらってください」とショートメールですぐに返信があったので、恐縮しながらもありがたくいただくことになった。

全ての荷出しが終わったのは夜中の1時過ぎ。やはりTさんファミリーが残してくれて言ってくれていた食材と炊飯器で、妻が餃子を焼いてようやく僕たち家族は食卓を囲んだ。

「ようやくママの作った料理が食べられるね」

まだ照明器具の足りない、まるでローソク暮らしのような薄暗い部屋で次男がつぶやいた。餃子とサラダと味噌汁とご飯。計量カップがなくて、炊飯器の使い方に慣れておらず少し硬めのご飯だったけれども、家族4人で食べるご飯が美味しくて、僕は慎ましくも温かい幸せを感じていた。

DAY10 20230901金二日後+0429ー0615ー0654


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