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誰でもいい写真と誰かにとっていい写真

この頃は、写真について以前より深く考えるようになった。
深くと言っても、プロが駿河湾の水深2500ⅿだとすると、自分は海水浴場の1ⅿくらいか。
散歩や出掛ける時にカメラを持ち歩いてはいるものの、自分が撮りたいものがはっきりしない。
思わず目が向いた物を取り敢えず撮ってはみるけど、見返すと、本当に好きな物だったか…と思う事がよくある。

誰でもいい写真

例えば、富士山とか、有名な観光地の撮影スポットとかは、自分より上手に撮る人がたくさんいる。
わざわざ自分が撮らなくてもいい写真。
とは言え、富士山も、観光地も撮ってしまうんだけど。
なんなら、Twitterもnoteも自分のトップページの画像は富士山だった。

誰かにっとっていい写真

あまり人を撮ってないけども、例えば、家族の写真とか、友人と何処かに行った時の写真とかは、自分と被写体との関係が写るんだろう。
いい表情の写真を撮れたら、それは自分にとっても、相手にとってもいい写真になるのかな。
自分が撮ったことに意味がある、自分じゃなきゃ撮れなかった写真を撮りたいと思う。

そんなことを考えながら、昨年の2月、3月頃のあまり考えずに撮っていた写真を現像しています。
ほとんどが散歩コースで撮った写真です。
あえて意味をつけるとすれば、「離れて暮らす長男に、故郷の景色を届けたい」かな。

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