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もの語り「日本創生」〜弥生時代②

こんな記述を目にした、やはり歴史は繰り返すのだろうか、「弥生時代の始まりをBc10cに引き上げた結果、その時代早期の鉄が中国文明のそれより400年以上も古いものとなってしまう、それは有り得ないので、再検討したところ朝鮮半島出土の鉄よりも少し新しい年代のものと判明、やはり中国→朝鮮→日本へと伝来したのである、云々」と。何て事はない、例の国府遺跡から出土した旧石器の場合と一緒じゃないか、それを否定したのが「大和朝廷一元論」による皇国史観その圧力であるなら、この場合は「中国文明系統論」による渡来人史観その力であろうか、この「空気圧」の前にあって忖度しなきゃ生きていけない世界が、きっと、日本の学問の世界にもあるのだろう、そうだ、この学会とやらに憤慨していたあの方は、今も御存命なのだろうか。

もう何年前になるだろう、長野県の某考古館で、講演用の一冊のテキストを目にした、著者は専門の学者ではなく在野の研究者であり、それは縄文人の心について述べたものだが「縄文農耕」を前提としていて、豊作を願うその祈りが土器の文様の中に田畑として表されているのだと、独特な解説がなされていた、そこに掲載されていた一枚の写真が気になり、どこで撮影したものなのか聞きたくて問い合わせた時のこと、「私はね、あの学会とやらに随分な仕打ちを受けましたよ、一研究者の農耕論に対して、何でそんなにまでして陰湿なイジメをしなくちゃならないのか、全くその手口はヤクザと同じですよ」と。

そんな事を言ったらヤクザが憤慨しますよ、「俺たちはそこまでメメしく陰湿じゃねぇ、そこまでやる位ならドスとハジキでケリをつけてやる」ってね、そんな慰めにもならない事を話して、だから私は物語として好き勝手に思う存分楽しんでやろうと、そう思ってますよと言ったら「ハハハ」と、風邪で胸をやられてしまったらしい、ひどく咳き込みながら、そのしゃがれた声が今も耳に残っている、先生お幾つになるのですかと尋ねたら、じき90に手が届くのだ言っていた、今も御存命だと思うけど、じっと、その事を確認済みなのだろう、コソーっと、じゃなくてシラーっと、縄文農耕についての叙述が行われ始めてきている、「縄文時代にコメが存在したのは多分に事実であるかもしれない、しかしコメを作っていたという非推論的な事実、自明と言い得るほどの直接的な証拠はまだ見つかっていない」だって、くっせー、だなんて言ったなら、オジン加齢臭のお前にそんなこと言われたくない、であろうか、ままよ、さて、趣味人のもの語りと致しましょうか。

「縄文/弥生時代」における弥生文化とは、当初は「縄文ムラ」のそれであり、土器などは縄文の伝統が色濃く反映されているが、水田稲作が開始された各地域での年代、その数百年後には「弥生ムラ」へと移行、水田はもちろんスキやクワなどの農耕具、稲穂を摘み取る石包丁、籾を貯蔵する甕や壺などの出現が普通に見られようになる。そして、渡来人が縄文人の既存のテリトリーに分け入ることによって、時には、また所によっては敵対・闘争という場面があったであろうし、またムラ同士の抗争もあったであろう、事実、殺害を目的とした武器や、大がかりな周濠といった防護施設、鎧などといった防具の出土が見られるようになる。とはいえ、その社会の秩序を保つにはムラ長や巫女といった宗教的権威で十分だったのであり、Bc8cには銅鐸が出現、それは棲み分けと交流のうちに推移した比較的平和な時代であったのだ。

② そして続くBc4c〜Bc2c末の「弥生時代」とは、鉄や青銅器と共に「戦争」の始まる時代、言うなれば数十ものムラが統合されてクニが出現する時代であり、統治者としての首長の墓には銅剣や銅鏡などの威信財が副葬される反面、下層階級としての「百姓」が現れる時代である。言うなれば、クニの首長や鬼道に仕える宗女といった「権威/権力」というか、政治色の強い「力」が現れる時代である、とはいえ、国王や盟主的な大王という存在など、未だそれらを必要としない時代であったのだ。ところで、鉄は外来文化だと思っていたが、実は、縄文時代の「豊葦原」からはコメだけでなく鉄もとれたのである、晩期の縄文人はすでに褐鉄鉱を手にしていたのだ、しかし彼らはそれを主流にする必要など無かったのである、先ず「戦争」以前だったからであり、良質の石材が全国網で流通していたのだから。

「弥生時代」の戦争とは「富」を目的にしたもの、すなわち「土地と生口」という物を獲得するための戦いであり、続く「王国時代」の戦争とは趣きが異なるものである。とはいえ両者とも大陸文明を起源とする「猛者」の価値観念に基づく外来文化である。すなわち「奴らは旧人類の血筋、生体レベルでの動因に操られた生き物だ、相手を騙して出し抜く知恵もなく、自説を押し通して真善美とする剛力もない、底抜けの温情 をもって愛を注ぎ合い、アナタのアナタ、アナタ故のアナタだからオマエのオマエだと言って二人称の関係、その和合の内にウナヅキ合って生きている、それは人格以前の土人だ、故に、鉄器の文明その物理の力に任せてことごとく、土器のカケラさえ余すことなく叩き潰せ」と。

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