1文字から始まる価値観の違いを、僕達は受け入れ認められるのか

先日、とあるワークショップに参加してきたのですが、そこで面白い経験をしたので自分への備忘録も兼ねてここに書き留めておこうと思います。

自分とは正反対の価値観に出会った

具体的に何のワークショップだったのかはルール上詳しく話せないのですが、大雑把に言うと
『人間同士のコミュニケーションについて』
のものでした。

その中で、

『この紙に書いてある2人の会話の中で、適切なやり取りだと思う箇所と、不適切だと思う箇所をそれぞれ○個あげてください』 

という設問があり、ワークショップの参加者同士で適切・不適切だと考えた箇所と、そう思った理由を議論する場がありました。

、そこでまず順番に、1人ずつ発表をしていったところ、僕が適切・不適切だと考えた箇所と見事なまでに正反対の評価をつけた方がいたのです。

そしてさらに面白かったのは、お互いに適切・不適切と判断をしたところがなんとこれまた見事に同じ部分だったのです(笑)

ちょっと分かりづらいと思うので具体的に言うと、
ある会話の末尾についていた1文字の言葉について僕が適切な語尾(相手を優しく気遣っている)だと判断したのに対し、その方は不適切な語尾(相手を見下している)と捉えていたのです。

大事なことなのでもう1度言いますが、これ全く同じ部分、しかも語尾のたった1文字に対して評価をつけています。

つまり、1文字に対して2人の人間が全く正反対の意見・印象を持ったということです。

誤解や争いが無くならない理由はここにある

これってとても面白いし、見方を変えれば恐ろしいと思いました。

いくつも重ねる会話の中の、たったひと言どころか1文字です。

会話なんて何百・何千という言葉の数があるのに1文字ごとに注意を払っていたら、会話に疲れること間違いなしです。

僕はこれを経験したことで、ふとこのように思いました。

『こんな風にたった1文字に対しても正反対の考えを持つ人がいるんだから、この世の中から誤解や争いを無くすなんて無理だろうな』

何せ言葉1文字をとっても考え方にここまで相違が生まれるんですから。

そりゃ会話をしていく中で誤解は起きるし、それによって争いも起きるってもんです。

ある事象に対してそれをどう捉えるかはその人次第です。

プラスに捉える人がいれば、マイナスに捉える人もいて、もっと細かく言えば同じプラス・マイナス同士であってもその度合いは異なるでしょう。

これはその人のこれまでの生き方(どのような経験をしてきたか等)によるところが大きく、だからこそ統一した見解はありません。

つまり、仕方がないというか当然のことなのです。

そこで終わらせたら何にもならない

ただ、ここで大切なのは誤解や争いが生じるのは仕方ないから諦めようと終わるのではなく、むしろここからが本番。

僕が声を大にして言いたいのは、

その誤解や争いが生まれたのであれば、なぜそれが発生したのかを考え相手と改めて対話し、違いを受け入れ認めてあげる勇気を持とうということです。

事実、僕と正反対の意見を出した方とは、発表が終わった後に

「ここまで正反対になるものなんですねぇ、とても面白くて勉強になりました!!」

とお互いに笑い合いました。

自分が正しいと主張したり、それはおかしいと相手を非難したりするのではなく、こうして自分とは全く違う意見が出たことが貴重な機会だと思い、その機会を与えてくれた相手に感謝をしたのです。

もちろんこれは同じワークショップに参加した仲間で、このワーク前に雑談を交わしある程度の信頼関係が出来上がっていたという前提があったのでその点は考慮する必要があります。

しかしそれでも僕とその方は自分とは正反対の考えが出現したのを目の当たりにしても、それを否定せずそういう考えもあるんだと自分の中に受け入れ認める選択をしました。

価値観の違い、いい加減認めよう

ここからは少々大げさなことを言いますが、もしこんな選択をこの世にいる全員が出来るようになったら、この世界はとても健全で、平和になるのではないかと思うのです。

僕達はとかく、自分とは違う考え方や意見や主張を持つ存在に出会うと、それに対してマイナスな感情を持ちがちです。

不安・恐怖・敵対心・疑心・驚き・怯え・脅え・脅威・・・

種類は違いますが、根底にあるのは自分が正しいと信じていたものだったのに、そこに攻撃を仕掛けられているように感じて必死に抵抗しようとするのです。

なぜならその価値観は、自分がこれまで積み重ねてきた経験という生き方が軸となって形成されたものだから。

誰だって、その軸を揺らされるのは怖いものです。

でも、本当はそうではなく自分と違う価値観を持つ相手こそ、僕達は大切にすべきではないかと思います。

自分と同じ価値観を持っている人とつるむのは確かにとても安心するし、心地いいし、楽しいでしょう。

しかしそれは時に、その価値観がどこかで方向性を間違えたとしても、それを指摘してくれる人がいないということです。

僕としてはその方が、よっぽど怖いと思います。

例えば日本の政治って与党と野党という2つの存在があって、野党は与党の政策などに対して常に色々言ってますよね?

あれは正直ただのイチャモンに見えることもありますが、そうすることで与党は自分の思い通りにスムーズに事を進めることは出来ませんし、暴走しすぎることもありません。

そんな風に、僕達も自分とは違う価値観を持つ相手を近くに置いて、そうかそういう考えもあるよねなるほど~というように、価値観の違いを受け入れ認め、最終的にはそれを自分の糧に出来たら最高じゃないかと。

そしてその未来を作るためには、まず1文字から始まる価値観の違いを、僕達は受け入れ、認められるのかにかかっています。

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