僕が求めていたものはnoteにあった

noteアカウントを開設して今日で1週間が経ちました。
まだまだ慣れない・分からないことだらけではありますが、

「あぁ、note始めて良かったなぁ。」

と心の底から感じています。

始めた当初は、
『Twitterの140文字では収まらない、気軽に文章を発信できる場所を自分も手に入れよう!』
と、アウトプット主体に考えていたのですが、note世界の方々の文章はまぁどれも大変魅力に溢れており、インプットしまくり&スキボタンの連打が止まりません。
(ボタン押下数に上限がなくて良かった・・・笑)

何がいいって、noteの文章ってブログの文章とは違ってお金の香りがあんまりしないことです。

ブログだと収益目的でやっている方も結構多くて、いかに有益なことを書いて閲覧数を増やせるかっていう雰囲気をどうしても感じることがあります。

それに対してnoteはただ書きたいから書いているという雰囲気が、並べられた言葉の端々から漂ってきて、だからこそ書き手の信念が直に伝わってきます。

もちろん収益目的で行うことを否定しているわけではありません。

文章でお金を稼ぐのは僕が想像している以上に大変で過酷なことでしょうし、書き手が長い時間と手間をかけて手に入れた有益な情報を読み手に提供するわけですから、そこへの対価を求めるのは当然だと思います。

だからこれは、僕がいま求めているものがたまたまnoteにある文章だというだけです。

僕は小説よりも、エッセイが好きなタイプです。
小説はあくまで創作の枠を出ませんが、エッセイは現実ありのままの書き手の姿が滲み出ているので、読んでいると書き手と一緒に書き手の人生を覗いているような感覚を体験できます。

noteに存在する文章は、そんなエッセイテイストで書き手の感情・価値観・考え方・想いが宿ったものばかりでザクザクと僕の心に刺さってくるので、読めば読むほど自分の中に、目には見えないけど確かにそこにあるものが蓄積されていきます。これってとても尊いことであると思っています。

世の中には文章を書くことでお金を得ている人もいれば、お金なんて得るつもりはなくてただただ自分が書きたいから忙しい仕事の合間を縫って、せっせと文章を書いている人もいて。

目的も目標も理由も動機も、何もかもが違うけどただ一点、文章を書いているというところにおいては共通していて。

そこにはどちらが良いとか悪いとかはなく、また優れているとか劣っているということもありません。

どれも等しく、書き手はいま自らの持てる力を最大限に出して、読み手に何かを伝えようとしてきます。

だから読み手は、その何かを真摯な姿勢で、余すことなく受け止めることが、せめてもの礼儀なのではないかと思っています。

そのために僕は、今日も自由に縦横無尽に、この果てしないnoteの世界を歩き回っています。

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