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タイパ、或いはコスパについて

昨今、巷ではタイパ、或いはコスパが良いと誰もがそれに飛びつく風潮があるとよく耳にする。コスパはまだわからなくもない。例えば、安くて美味しければ、コスパが良くて、そんなお店を好んで選択している自分がいる。

それに対し、更にタイパという新たなキーワードが。タイムパフォーマンスが良い、と言うことを言いたいのはわからなくもない。要は短い時間でより良い成果を期待しての文言だろう。

そこで、ふと頭を過ったのが自分の好きな小説についてだ。わかりやすく、好きな作家の阿部和重を例にさせてもらう。阿部和重は俺よりも年下で、映画の専門学校を卒業後に、アルバイトをしながら小説を書き、デビューを果たした。俺は端的に阿部和重を天才的な作家だと思う。

実際、作品の数々を読み、楽しませてもらった。「ミステリアス・セッティング」は話の展開が予想外で面白く読ませてもらった。それ以前にも『シンセミア』はローマ旅行に出掛けた際に、夜のローマの街を楽しむことすらも忘れ、ひたすら読み耽った。実に面白い作品だと今でも思っている。

ところが続く『ピストルズ』を読み始めてみると、何処か「ミステリアス・セッティング」を回想させるようなくだりで物語がスタートしていて。

つい、『ピストルズ』を読む気が失せてしまった。本来なら、読み進んでいけば、その先には予想もつかない面白さが詰まっているのかもしれない。架空の街を舞台に繰り広げられる三部作であり大作だ。きちんと最後の『オーガニズム』まで読み終えるのが当然だとも思う。

何故、こんなクレームまがいのことを書き連ねているかと言えば、やはり読者の立場から何となく悪い意味で裏切られた気がしたからだ。更には続く『オーガニズム』でも海外の作家の作品のアイデアを取り込んでいるという内容のレビューを読んでしまい、やや、がっかりした気持ちだった。

俺は今年の誕生日で58歳で、老眼が進んでいて、文庫本の小説を読むためにはハズキルーペが必要だ。『ピストルズ』と『オーがニズム』は長編でもあるだけに、一度頓挫してしまうと、なかなか読み進めたい気持ちも湧いてこない。

好きで買ったのだから、本来ならば全部読みたいと思うのが当たり前なのだけれど。自分自身が小説を書いているだけに、相当な分量の長編二作品を書き上げるためにどれだけ作者自身が大変な思いをしただろうか、想像もできなくもない。膨大な時間と自身の才能と葛藤と努力の賜物だと思わざるを得ない。

そこで、話を戻すと、タイパ重視は大いに結構なことかもしれないと思わなくもない。それと引き合いに阿部和重の『ジンマチ三部作』を考えてみると、どうにも笑わずにいられない。勿論、タイパの対象が小説の執筆に限られないことは理解している。

結局、阿部和重は様々な批判には遭っていても、この三部作の大作を世に送り出すことに成功しているのだから。すぐ目の前の利益を得るためのタイパ重視では、とてもじゃないけれど三部作の大作を書き残すことなど不可能だったろう。実際、「シンセミア」から「オーガニズム」まで、どれ程の売れ行きなのかは俺の知るところではないが。

比較の対象にはならないと思われる方も存在するかもしれないが、以前に芥川賞で話題になった『火花』について考えると、俺にはどう考えてもタイパ・コスパも含まれているように思えてならない。文藝春秋社が作者に原稿依頼をした上での芥川賞受賞では出来レース以外の何ものでも無いのだと思わずにはいられないからだ。作者はお笑いタレントで、勿論、知名度もあって、さぞかし話題性にも富んでいたことだろう。

別に「火花」を実際に読んだ訳では無いので、作品のできについては一切触れない。ただ、作者が「太宰治を知らない」との発言をニュースで読んだ時にはさずがに我が目を疑った。

まあ、悪口ばかり連ねていても仕方ないので、結論とすれば、過度のコスパ・タイパ重視はどうなのだろうかと思わずにはいられないのだと言いたい。俺は小説を書くのと同時に読書も大好きだから、思うところを書き連ねてみた。三島由紀夫と太宰治が俺にとっては一番好きな作家だ。二人の作品は文庫で発表されている作品は全て読んだ。

余裕ができたら読み残している『ピストルズ』『オーガニズム』をハズキルーペのお世話になりながら楽しみたい。


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