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利他心の原点①


目の前にいても見えない➖好奇心の原点

お母さんは目の前にいるのに、何を考えているのか見ることができない。
この事実に気づいたのは階段をやっと一人で登れるようになった3歳ごろのことだろうか。

人は草食動物とは違い、目が前に付いている。だから、後ろを見ることができない。しかし、生物としては、「後ろから襲われる」可能性もある。そこで人は、見えないものに対して想像を働かせるようになった、と何かの本に書いてあった。「どうなっているんだろう?」という興味・好奇心は、見えないものの脅威から人間を守る術なのかもしれない。

 私の場合、それは目の前にいる人の「考え」だった。自分にもはっきりと「考え」は存在するが、目の前の人の思考を知覚することはできない。(もしかしたらロボットみたいに、何も考えてないかもしれないのに。)

幼少期に私の興味の方向性ははっきりとしたように思う。私は他人というものに対して強い興味を抱いている。

人が見ているものと自分が見えているものは違う。

小学校3年生の時、テレビで「目はそれほど鮮明に情報を読み取っていない」という事実を知った。目は、なんとなくの輪郭情報と光情報を読み取り、脳がそこに境界線を定め、色をつけているのだそうだ。
 それを知った私は、「私の脳が構築している世界と、他人の脳が構築している世界がちがうかもしれない」という仮説に行き着いた。もしかしたら、私の友人の脳は、芝生を見た時に、(私の世界でいうところの)紫色を割り当てているかもしれない。でも、生まれたときからそれを「緑色」と呼んでいれば、私にとっても、友人にとってもそれは「緑色」で間違いがない。だから齟齬が生まれることはない。この仮説を検証する方法がないか2年ほど授業中の暇な時間に思考実験を繰り返した。友人や先生にも聞いてみたが、理解されずに終わった。最終的に、それは現段階では難しいのだろうなという考えに至った。大人になってもこの疑問は解消できていない。

 いずれにしても、この「他人が見ている世界と自分が見ている世界は違うかもしれない」という発見は大きいものだった。見えている事実が違えば判断する結論も違う。だから、相手になりきりって物事を見なければ、どのような結論(ひいては感情)に至ったかを理解できないのだと知った。ここで、他人の立場で物事を観察し考えるという客観性が身についた。
これが人間に向き合うための姿勢を形作った原点である。

自分研究

ただ、他人の考えを読み解くのは容易ではない。だから私は、人間のサンプルとして、「自分」を研究するようになった。自分が今何を考え、何を感じたのかを言葉で表すことを怠らないようにした。小学3年生の時には、引越で通学時間が長くなり、この思考実験をする時間を容易に確保できた。

 ちなみに、思考実験の内容は具体的にいうと以下である。
例えば、今日学校で嫌なことがあったとする。その場合、私がよく考えていたのは以下の3点だった。
(1)何が嫌だったのか。どの点に納得がいっていないのか。
(2)どうなれば満足か。
(3)同じシーンで何を言えば相手は折れたか(もしくは満足のいく結果につながったか)

これによって、自分が求めていること、自分の気持ちはすぐに言葉にできるようになった。そして、感情に対する語彙も豊富になったし、相手の考えを察する力、反応を予想する力も大幅に鍛えられた。今考えても大きな進歩だった。
だが、社会を生きていく上で、自分の思い通りを叶えられるスキルを身につければ、それで良いわけではなかった。考える力が育ったが、同時に自分のことしか考えていない利己的な子供でもあった。

喧嘩とチクリ魔

小学生の時はよくケンカをしていた。一緒に過ごしていれば誰とでも納得のいかないことはあるだろうが、小さい頃は皆、その取り扱い方がわからなかった。
私はその喧嘩が非常に弱かった。暴言や暴力の前にはどうしてもすぐに負けてしまう。どんなに相手を打ち負かす論述を考えていっても、咄嗟には出ない(しかも、出せたとして、結局は腕っぷしに負けてしまう)。だから、揉め事や納得のいかないことがあるたびに、一生懸命考えた。その時自分がどうすれば良かったのか、どうなれば良かったのか。
 考えるうちに、「ケンカになれば負ける。ケンカになる前に勝たなければ」という結論に至った。喧嘩になる前に、まさに口八丁で正義を振りかざし、相手が「手を出したら負け」な状態を作る。結果、手を出されれば先生に言って怒ってもらえば良いし、手を出されなければ自分の利益は保たれる。(今書いていても大変姑息な子供である。)
 大変優秀な作戦であったが、これも長くはうまくいかなかった。この作戦を続けていると、「チクリ魔」というあだ名をつけられてしまった。しかもこの作戦は、そもそも先生がいないシーンでは無論役立たない。結局周りとの折衝はうまくいかず、不満を募らせることが多かった。
 その当時は、どうしてこう世の中は自分に仇なすのかと悲嘆に暮れていたように思う。「〇〇君が悪いのに。俺は間違ってないのに」先生に言いつける日々を続けた。

(第二部に続く。)


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