カウンセリングの実際と効用について

割引あり

ここまで5回に分けて、自分自身のカウンセリング体験をまとめてきた。


今回は体験記ではなく、概論としてカウンセリングの実際についての分析記事を書いてみようと思う。


カウンセリングに意味はあるのか?

究極論を行ってしまえば、カウンセリングの目的とは自分自身を新しい角度から知りなおすという行為だと思う。


私達は自分自身の事をわかっているようでいて、案外わかっていない。


具体的に言うと、どういう食べ物が好きで、どういった事が得意かという主観的な自分についての評価はある程度は把握できているものの、客観的な自分についての評価を冷静に分析できている人は少ないだろう。


カウンセリングというのは、この客観的な自分というものの評価を知るための手引だと思う。


これまでの自分自身の生い立ちや、社会経験、どういった時にうまく社会がやれて、どういった時に社会がうまくやれないのかを延々と話し続けていき、自分自身を俯瞰的な立場から客観的に分析するという行いは、それなりに集中してやらないと出来ない。


もちろん自分自身の人生史は自分が一番よく知っているわけだから、自分だけでこの自分歴史の俯瞰がやれないわけではない。


しかし、やってみればわかるけど、これを誰の助けもなく深く掘り下げるという事は大変に難しい。すぐに興味が散ってしまい、漫画やゲーム、あるいはツイッターなどに耽ってしまい、自分自身を深く掘り下げるという行為に集中する事は、自分だけだと案外難しい。


友人や知人はどうだろうか?もちろん、彼・彼女らがその手引をやってくれる可能性はあるとは思うが、一つ言えることは「貴方の話を黙ってじっと傾聴し続ける」というのが、相手にとっては非常にストレスフルになるという事だ。


多くの人にとって会話はキャッチボールである。自分が球を投げたら、相手がそれを受け取り続けるというのは、けっこうシンドい。


それにいい球を相手に投げさせるのも、なかなか難しい。じっと黙って話を聞くという苦行のみならず、適切に相槌やら疑念を投げかけて、自分自身をより深く知るための手引を行うのは、素人にやらせるには無理難題だと思う。


だから個人的には、カウンセリングにお金を払う価値はあるように思う。それなりの金額はするが、そのそれなりの金額を支払うという行為自体に、真剣になるという副次的な効果も入るので、やっぱりお金は払ってしまった方がいいように思う。


いつカウンセリングを受けるのがいいか?

もっともいいのは、社会がうまくやれなくなって困り果てたタイミングだと思う。

僕のように仕事をクビになるだとか、付き合っていたパートナーと関係が破綻したとか、友人や知人とトラブルになったなどなど…

あるいは、最近なんだか人生がつまらなくて退屈だ、といった時にもカウンセリングを受けてもいいかもしれない。その時は素直に「昔のようになにかに情熱的になりたいのだけど、最近は無気力に支配されてて、人生がつまらない事に困っている」と伝えるとよいように思う。


カウンセリングというのは自分自身の当事者研究行為である。


最近では発達障害のように、何らかの困った個人の特性を医学や薬の力を頼って治そうという行いが流行っているけれど、僕が思うに”社会を楽しくやれない”というのは医学や薬の力でどうにかなるようなものではない。

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