芸術の価値は人に話させる事

ちょっと前に本でみた議題が物凄く頭に響いている。

その議題とは「貴方の目の前にレプリカのモナリザの絵と、燃えて焼け落ちたモナリザの絵の灰があったら、どっちを見たいと思うか」というものだ。


これについて、僕は割と即答で「そりゃ灰だわ」と思った。実際、回答者の多くが灰を選ぶらしいのだが、となると世の中の多くの人が芸術で何を消費しているのかというと、中身ではないという話になる。


じゃあ人は芸術で何を摂取しているのか。それは”話題性”である。例えば貴方が焼け落ちたモナリザの灰をみたら、少なくともその話題でちょっとぐらいは友人知人の関心をかっさらえるだろう。


逆にモナリザの絵のレプリカをみて、その芸術的技工の凄さを話した所で、好事家以外は全くといっていいほどに関心を示すことはない。下手したら「こいつ痛いぞ」と疎まれてしまうかもしれない。


芸人も芸能人もインターネット芸人も、話題が提供できないと終わり

これは突き詰めると、人気商売の本質は話題性にあるといえよう。


面白い話題を提供できるかは重要だが、面白いというのは極めて主観的な指標であり、そこに測定性はない。


それ以上に”反応しやすい”話題という点において、人気というのは強い粘性がある。

例えば最近だと”ちいかわ”なんかは当たり障りなくメチャクチャに話題にしやすい素材だろう。過激な政治団体ほどにはイカれてはいないし、性嫌悪的な話題ほどにも露悪的でもない。


みんなが共通に話題にしやすく、絵を誰でも様々な形で言及しやすいという点において、冒頭にあげたモナリザの灰のようなキャッチーさがある。もちろん飽きは不可避ではあるが、それについてはいつどのタイミングで来るかは誰にもわからない。


ちいかわをみていると、ルネッサンス時代の芸術家だとかに大衆が何を求めていたのかが物凄くよく見えてくる。ああ、こういう風に人の関心を引きたくて皆が試行錯誤していたんだなぁと、有名人無名人のバトルが垣間見えて、大変に興味深い。

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