第4回 学校外でのコンピュータ学びと学校内でのコンピュータ学び 5. Learning Spaces Outside of School Time,6.Computing Experiences in Schools
今日はこの2つの章がテーマ。
5. Learning Spaces Outside of School Time
要は学校外の学びのこと メイカースペース、ボーイスカウト、部活などだ。
コンピュータ教育ではこういうものの効果はすごい高い。
ただ、その高さは、「もともとヤル気ある人が集まってる」というのがすごい大きい。
また、全くの初心者にとって入りやすいとは限らないし、前回で出た「もともとパソコン好きに白人が多いから、白人ばっかりになってしまう問題」を、こういう同好会はより強くする方向しかない。
図書館など、公共機関がこういうパソコンクラブサービスを提供するのは非常に効果がある。誰でも図書館にアクセスできるわけじゃないけど、同好会よりはアクセスできる可能性が高い。
ただし、どの図書館でも良い設備や良い先生がいるわけではない。
充分なパソコンがない、ネット回線がない、先生やファシリテータがいないみたいな問題はアメリカでもあるだろう。
また、こういう場所で行われる活動は「やりたいこと」主体になるから、ゲームなどになりがちで、それもユーザを限定する。
これは今回の論文全体に通用するトーン(だんだん飽きてきた)だけど、
-やりたいこと中心でやることの効果は高い
-マイノリティは、そもそも「やりたい」と思うことへのバリアがある
の2つが、混ざるようで混ざらない。この第5章でもそこは歯切れが悪い
ディスカッションは、「こういうアウトオブスクール活動が日本でどうよ」みたいな話で、図書館のヘビーユーザーではあったけどずっと日本にいない僕からは難しかったが、図書館などでパソコン部的な活動、家賃を払いたくないメイカースペースなどが公共機関から場所を確保できるような試みがもっともっと広がるといいと思っています。
6. Computing Experiences in Schools
アメリカでも問題は日本と共通していて、設備や先生がないところが多い。専任のコンピュータサイエンス先生がいると色々捗る
アメリカでも、高校教師でコンピュータ・サイエンスの学位持ってるのは25%だそうな。
これはシンプルに、「先生しか学校で教えられないし、先生はずっと先生を続ける」みたいな形がけっこう限界を迎えている気がする。
コンピュータサイエンスについては、システムのほとんどは社会の中で育つものなので、システムエンジニアやったことあるひとが教えるのがいいとおもう。カバー写真は、シンガポールの学校でのSTEM教育で、これはもとエンジニアの先生が学校で教えて、またエンジニアに戻るみたいなキャリアパスがあるとのこと。
また、コンピュータは幅広いので、コンピュータ音楽とかゲームづくりとかプログラミングコンテストから、なるべく多くの入り口があったほうがいいと思う。
教育と自由と強制と社会のバランス
これは終わった後に出たテーマで、やりたいことをやらせたほうがパフォーマンスがいいのは間違いない。
一方で、子供に栄養バランスを崩した好きなものだけ食べさせることが間違っているように、何らかの押さえつけ、ワクにはめることは必要で、そのワクが陰謀論などを社会でマイナーなところに抑え込んでいる、というのはある。
日本の教育は、データを見れば見るほど基本的に優秀なので、ヘタに教育改革をやって今のメリットを崩すのはすごくまずい。
たとえばかつて見に行ったエチオピアの工場では、見習い社員に給料を払って幼稚園の行進みたいなことをやっていた。前ならえ、イチ、ニー、サン、シー、声を揃えて歌を歌う。
イー・アル・サン・スーなのはここが中国系の工場だから。
これができないと、製造ラインに入れない。同じ時間に仕事を始める、休み時間以外にトイレに行かない、ということができない。
これは、今の教育(のトレンド)では「やらないほうがいい」とされていることだ。でも、これができない人がクリエイターにならなれるのか、ジョブズやMITメディアラボなら行けるのか、はちょっと考えたほうが良いテーマだとおもう。
先進国の人間は、言われなくてもこれぐらいできる。それは、実はけっこうすごいことなんじゃないかと、これを見て思ったりしたし、「これがもっとよくできる」ということは、実は無視してはいけないことかもしれない
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