日常にないものは、非日常にもなくなる

結婚式で着物を着る

お祝いでお寿司を食べる

お寺で精進料理を食べる

茶室で茶道体験に参加する

そのどれもが『非日常』だ。

いつからか日本人の日常に日本の文化はなくなった。

良いか悪いかはべつとしてひとりの個人としては悲しいと思う。

インバウンド景気が右肩上がりの今、
和文化のビジネスは調子がいいじゃないかと言われるかもしれないけれど、ちっともそうは思わない。文字通りその場シノギで外貨を稼いでるに過ぎないと思う。

だって、そもそも日本の文化が日本に無くなろうとしているのだから。

でも、だからといって、そこにニーズが無ければ仕方ないともいえる。

自分が日本人であることを意識して生きているひとなんて本当に少ない、もはや実質的に思想は植民地化しているとおもう。

多くの人はだからなに?って感じだとおもうけども。


ニーズがないものは消える。

読んで字のごとく、そのままだ。
コンビニの100円コーヒーがなくなると困る人は多いけど、お茶のティーバックがなくなって困るひとのほうが少ない。

コンビニがどちらかしか売れないルールになったなら、間違いなくコーヒーが残るだろう。

ペットボトルや缶はべつとして、
コーヒーは形を変えて、できたてのものをいかに安く、早く提供することに努力を重ねてきた。

それは日常になって当然だと思うし、バリスタが淹れたクオリティが高いコーヒーを飲んでみたいと思うは当然の関心ごとだと思う。

お茶はどうだろう?
茶道の体験をしてみたいと思うだろうか?

もちろん0ではないけれど、絶対値はコーヒーより少ないはずだ。

伝統産業は時代が求めるニーズを無視し続けてきた


長年クラシックな伝統産業に携わっているとびっくりするような風習に出くわす事がある。

ここで書けないような事も多い。一言で言うと、お客様をお客様だと思っていない人も実際にいらっしゃる。(あくまでも僕の見てきた範囲で。)

技術も高く、洗練されたプロダクトを製作されている諸先輩方が、いらっしゃる。

その反面、彼らの多くは、教わってきた事にしがみつき、顧客のニーズを無視し、自己満足に悦を感じ続けているようにも見える。

私が料理を教わった親方の1人で、こんなに料理を好きな人を見たことがない!という方がいる。独創的なアイデアと、長年の経験で贅を尽くした、懐石料理を創作していらっしゃっていた。

10年近く前に銀座の一等地で客単価3万円ほどの割烹料理店の料理長をされていた。(当然わたしもそこで修行をさせて頂いていました。)

ところが今はどうだろうか?

某スーパー銭湯の調理場で、ランチ用の冷凍マグロを切る仕事をされているというのだ。
(誤解のないように言うがとても大事な仕事だと思う。)

ただし、僕の親方が本当にしたいと思っている仕事ではない。

布団の枕元に料理事典をおいて寝るような人がなぜ?そんなことに?と思うかもしれない。

でもしょうがないなとも思う。

なぜなら親方は途中からアーティストになってしまったのだ。

バブル景気などで、昔はそれが求められていたのかもしれない。

しかし今は時代が違う。

そして僕の持論では、根本的に伝統産業はアートではないと思っている。

生活者の方々のニーズがあって始めて成立する産業だからだ。

僕の親方は生活者のニーズが変化についていけなかったのか?気づいていなかったのか?はさておき、ニーズを無視することをしてしまっていたので、自分の城を失ってしまった。

変わり続けるライフスタイルに合わせて、表現や技術もアップデートしていかなければいけないのだと思う。

話を戻します。

日常にないのはなぜか?

ここまでニーズの話をしてきました。

あらゆるものが、なぜ日常になくなってしまうのか?を単刀直入に言うと、

『自分たちのやりたい事(残したい技術)』

『生活者や消費者のニーズ』
に乖離があるからに他ならない。

アーティストには、人生を背負ってでも
究極的に共感されなくてもいいから
伝えたいこと、表現したい事っていうものがあるんだと思う。

それは絶対に否定できるものではない。

一方で、自分自身の考えと世の中のニーズをハイブリッドさせる人材がクリエイターだとも思う。(アーティストとクリエイターは似て非なるものという前提で。)

伝統産業の職人や作家さんには、アーティスト気質なんだけれども、顧客がわかってくれない。と思っている人が多いと感じます。

アーティストならば口出しはしないが、クリエイターならば、その考え方は間違っているとおもう。

生活者が予想のできない少し先を提案して、
生活をよりよくしていくことがクリエイターだと思う。

そして伝統産業の職人さんは、古来からクリエイターだったんだととも思う。

僕は、日常の日本の文化を創るクリエイターでありたい。

それも今だからできる日本らしさを。

日常にないものは、非日常にもなくなってしまうかもしれないから。








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