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牛乳は自然に反しているか

 牛乳反対派が書く著書やブログに必ず出てくる言葉がある。

『牛乳は仔牛のための飲み物だから飲んではいけない』

これを最初に言い出したのは誰だろう。それを鵜呑みにしたおせっかいな人が、わざわざ僕に教えてくれる。ーーー牛乳は自然に反している。

とにかく、そんな人に付き合いたくないので、愛想笑いで右から左へgo to オーガニックの陳列棚なのだが、おせっかいな人はなかなか退いてくれない。

僕を議論で打ち負かしたいのか、牛乳の製造をやめさせたいのか、とにかくこちらの返事を待っている。

そういう人に始めにいう言葉はいつも決めているんだ。

『人間のための食べ物とはなんですか?』

この質問には、みんな一様に面食らった顔になる。

牛乳反対の人が話したいのは、カルシウムがどうたらとか、ホルモンがこうたらとか、ネットで検索すれば数秒で出てくるものばかりだ。まさか目の前の牛乳屋から牛乳以外の話をされるなんて思ってもみなかったのだろう。

答えも二通りしか聞いたことがない。 【野菜】か【豆乳】。即答できた人はいない。そして、答えてもらった商品の陳列棚に誘導する。さっきまで頑として動かなかった人たちは不思議と言われるがまま、棚の方に行って二度と僕に話しかけない。

こういうおせっかいさんは絶対牛乳を買わないので、時間をかけて論破しても怒って帰るだけだ。こちらも嫌な気持ちになるし、第一に時間のムダだ。さっさと買い物を済ませて帰ってもらった方が、僕も、納品先のお店も、その人にとっても得だと思う。

本題に戻ろう。牛乳は自然に反しているという指摘において、要点を2つに絞る。

ひとつは、人間のための食べ物とは何か。

次に、自然なつくり方とはなにか。

この2つについて、牛乳屋としての僕の意見を述べる。

仔牛を育てるために、母牛が出す乳は、仔牛のための飲み物である。間違いない。厳密に言えば殺菌もパック詰めもされてないものは『牛乳』ではなく『牛が出した生乳』だが。

上の論理で考えると、子を育てるために、母が出す母乳は、子供のための食べ物である、と言える。

では、野菜はどうだろう。野菜が栄養を溜め込むのは成長し、種を作り、自らの子孫を残すためのものではないのか。

もとは豆(植物性)という考え方から、牛乳より豆乳だ、その話は分かる。それがイコール人間のための食べ物というのが、全く論理から外れていることに気付いてほしい。

人間のための食べ物は人間しか生み出せない。

自然に生えているものに『人間様のために栄養を溜め込みました。是非わたしをお召し上がりください』なんて思っている物なんてない。

では、自然が生み出したもの、自然なつくり方とはなんなのか。

それは、人それぞれの考え方がありすぎて、これだと決めるものがない。

もし究極を求めるなら、森に住んで、野生の獣を狩り、自生している植物やキノコを採って暮らす、が自然ではないか。まあ、これにもはてなマークが付くけど。

野菜をとって見ても、土地を管理するのも、種を植えるのも、肥料や農薬を与えるのも、そしてそれを収穫するのも、野菜の意思とは関係なく、すべからく人間が行う。

種が風に乗り飛ばされ、たまたま我が家の庭で発芽し、偶然にもそれが食べられる野菜で、通りすがりの人がこれを買いたいと言って、お金を置いていった。みたいなことが自然に発生したことではないのか。

それを農家と呼ぶのかさえ怪しいが、その仕事で現代の暮らしが成り立つとは思えない。何かしら人の手が加えられている中で、農薬はダメだ、土を耕すのがダメだ、と言ってもらえれば、分かりやすいし、賛成も反対も出来るようになる。いきなり自然に反していると言われても意味不明だ。

『乳離れ』という言葉もよく使われる。成人しても乳を飲んでいるのは人間だけなのだそうだ。

この前、野良猫に水と牛乳を差し出したら、牛乳を飲んだけど。

『乳離れ』なんていう、いかにもセンセーショナルな言葉を使うから、聞いた方は反射的に嫌悪感を抱くけど、人間も牛乳をあげた野良猫も、別に母乳を欲しがっているわけではない。

牛乳を差し出せば、犬だって、ネズミだって喜んで飲む。ただ飲める環境にないだけだ。

『自然』という言葉に惑わされ、ネットや本に書かれていることを鵜呑みにし、本当に求めているものが伝わってこない、なんてことがよくある。

簡単に、飲みたいか飲みたくないかで判断してほしい。

誤解を恐れず言えば、僕は牛乳は自然に反していると思う。

さらに言えば、僕は『自然に出来た~』という言葉は農家に失礼だと思っている。

日常食べている肉も、野菜も、牛乳だって、自然に出来ているわけないだろう。農家が頭を悩ませ、日々苦労し、農薬や肥料の是非を考え、育成方法を学び、その集大成として、スーパーにものが並ぶ。

聞きかじりで『自然に反している』と発する前に、農家に行って現実を見ろ。その辛さを目の当たりにしろ。出来れば体験させてもらうといい。人不足だから、喜んで手伝わせてくれるだろう。役に立つかは別として。

『自然に』と発するあなたは、いったい何を求めていますか?

勝手に僕は、安心や安全を求めているのではないかと思っている。あなたが今持っている『無調整豆乳』はどこで誰が作っている? 生産地は? 農家は?

あなたの知識はきっと信じられる他人かは与えられたものだろう。だから、

信じられる業者や農家を見つけられる、選べるのならば、その商品に勝る安心安全はないんではなかろうか。


農家で食べ物を選ぶ。そんな時代が来るように、僕は酪農家と一緒に牛乳を学び、問題提起を続けていく。

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