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笑えるようになることは

どんな悲しい現実も、いつの日か、笑えるようになる。

という考え方は、非常に強力なツールです。

僕は、小さな失敗も、大きな悲劇も、どこかの時点で必ず、

大笑いできるエピソードになるはず!と信じております。

もちろん、それは、年齢を重ねる度毎に「やりやすく」なっていくことでもあり、

経験も少なく、ナイーブな少年、青年時代にはなかなか難しいこともありますが、

誰でも、いつしか笑いやすくなってくる。失敗なんてどうってことなくなってくる。

悲しい出来事にも、「慣れてくる」

そんな風に、感受性が落ちていき、面の皮が厚くなってくることを、残念なことと捉える考え方もあるとは思いますが、

僕は、そうして年齢を重ねることが、

少しづつ重たい荷物を下ろしていくことのように感じます。

重たい鎧のようなもの。かな?

そうすると、性善説の僕の場合は、重たいものを脱ぎ捨てると、人間の中に本来あるはずの「よき部分」が、素直に出せるようになる気がしているんですね。

プライドや、羞恥心というのは、突き詰めれば「エゴ」のことです。

「自分が、尊重されていない」「自分が、辱められる」自分が、自分が、の世界だから。

僕もまだまだ捨てきれないエゴが、まとわりついてはいるのですが、

それでも、随分楽にはなってきた気がします。

笑って生きて、笑って死んでいくために、

どんなことでも、いつかは笑える

を忘れずに置こうと思ってまーす!

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