全ての芸術は、模倣
その時読んでいる本の文体に、自分の文体が似てくることってあります。
昔の話ですが、mixiに「村上春樹コミュ」というのがあり、そこには、いろんな参加者が、
村上春樹的な文体で文章を書いているのが散見されましたね。
そして、調子にのって一度僕も、村上春樹的な文体で文章を投稿してみたら、
「そういうのが多くてうんざりする」
という批判をいただいて、しょんぼりしたのを覚えています。(泣)
中学生の頃からしばらくは、東海林さだおさんのエッセイを読んでいたので、その「どうでもいいことを、大げさな文体で遊ぶ」筆致を真似てみたり、
最近だと、小説も読まずに、ビジネス本や自己啓発系の本を読み漁っているせいか、
逆に、「どうでもいいことが、うまく取り上げられない」という弊害も出てます(笑)
さて、開き直って、
「全ての芸術は、模倣から始まる」
というのが、僕の中で大きなテーゼになっているので、
いいんです!それで!
全ての芸術は、模倣です。
絵は、現実や心象のビジュアルを模倣しているし、イメージを形にするという作業まで、イメージの模倣と考えると、模倣でないものなどありはしない。
だって、「何にも、似ていない」ものが生まれたとして、それに「共感」なんてできないですからね。
心の琴線に触れるのは、「受け手の中にある、すでに知っている何か」に似ている!
と感じることとほぼ同義だと思うから。
だから、若い人には特にいいたい!
真似せぃ真似せぃ!
自分がどこにいるかわからないぐらい真似して、真似して、
それでも真似しきれない部分を、あるいは、真似してきた歴史の総体を、
「あなた」というのだから!
どうです?開き直れました?
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