『写真お撮りしましょうか』 日報:2022年5月12日

僕は家族連れや旅行客が写真を撮っている場面に出会うと、自分の方から「良ければ写真お撮りしましょうか」と声を掛けるようにしている。

何故かというと、自分の子供の頃の写真を見返した時、父が撮影係になって母と2人で写っている写真ばかりで、若かりし父の写真が少なくて悲しくなったことがあるからだ。

あとは、その家族が写真を見返した際に「写真を撮ってくれた人が居たね」という話になれば、その家族の記憶に僕が残るということでもあり、僕が存在したという楔を世の中に打つ方法としてコスパが良いという打算的な考えでもある。

何にせよ家族写真はあればあるだけ良いので、どちらかといえば良い事をしているのではないかと思う。

思うのだが、冷静に考えると不審者っぽい振る舞いであることも否めないし、「世の中に自分の存在した証を残す方法として人の家族写真を撮る」というのはかなり怪しい人間の思考だとも思うので、相手に不信感を与えないよう、朗らかに「家族全員で写っている写真があると良いですからねー」と言い訳しながら写真を撮るようにしている。

その言い訳が余計に不審者感を増しているのではないか、という懸念もあるので、もう良くわからない。

友人に話したら、「まぁ、不審者と言うほどではないんじゃないかな」と言われた。

もし僕が間違っていたら、このブログを読んだあなたが優しく教えてください。

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