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思い出を、超えていけ。

私は野球が大好きだ。
見始めた時期は曖昧になりつつあるが、ホークスファンになって早くも20年以上が経過する。

初めて福岡で現地観戦(球場に足を運ぶこと)した日は、はっきりと覚えている。
2003年5月2日、ダイエーの名手、鳥越裕介が一振りで勝利を決めたあの日だった。小学生だった私は歓喜に沸く4万人超のファンの中にいて、それ以来野球場が大好きになった。
社会人になってからはすこし球場から足が遠のいたものの、今もなお日々ホークスの情報に目を通してる。

初観戦でのサヨナラ劇を観た後の私は、より野球にのめり込むようになった。小学生ながら毎日17時半にはラジオをつけ、毎日試合を聞くのが日課になっていた。ある日、いつもの通りに電源を入れて周波数を合わせた。ラジオでは地元のホークス応援番組が予告先発を読み上げていた。

「今日のホークスの先発は斉藤和巳、対する西武ライオンズは松坂大輔。両エースの投げ合いが楽しみですね〜」

······なんだって!?エース対決??

そこからの私は風のように支度をし、母を説得してからチケットとお弁当代、合わせて2500円を手に自転車に跨がった。福岡ドームまでは飛ばせば15分ほどで着く。ほぼノンストップでペダルを回し、上がる息を必死に抑えつつゲートを潜ると、緑の映えるグラウンドには白いユニフォームを着た選手たちが立っており、スタンドからは鳴り止まない応援歌と声援、そしてマウンドには、ホークスのエース斉藤和巳が蒼きユニフォームを身に纏った獅子たちを見下ろしていた。外野から見てもわかるその気迫、一球にどよめく雰囲気は今でも忘れることができない。
その頃、ホークスが試合に勝った日は表のグッズショップ「ダグアウト」で勝利の盃が販売されていた。通常は銀の盃だったのだが、ホークスにとって宿敵、ライバル関係にあったライオンズ戦のみ金の盃になっていた。観に行ったその日はこっそり持って行ったお金を使って、買ったのをよく覚えている。

その日以降も毎日のようにラジオを聴き、応援していた。ルーキー和田毅が勝ち星を重ね、「負けないエース」斉藤和巳、史上最強と名高い100打点カルテット······あの頃のホークスはワクワクさせてくれる試合がとても多かった。今思い出しても当時の胸踊る感覚は格別だった。
そしてその年、ホークスは阪神を下して見事に日本一に輝いた。その瞬間、福岡の地は歓喜に溢れ、街中の至る所で応援歌が流されていた。私は家族でパブリックビューイングに出かけており、初めての「日本一」に感涙しひと目を憚らず飛び跳ねていた。

しかし、翌年からホークスはプレーオフ(現クライマックスシリーズ)に泣くことになる。長年のファンは当時のことを想うと胸が締め付けられることもあるのではないだろうか。いまや常勝軍団となったホークスではあるが、当時はあと一歩が届かないもどかしさを抱えていた。


振り返ってみれば、ホークスを応援して20年以上。たくさんの悔しい思い、そして素晴らしい瞬間を見られた。
ダイエー最後の日本一、球界再編でホークスが無くなるかもしれない焦り、ストライキ、勝てないプレーオフ、ソフトバンクに変わっても残った球団歌、ふりしきる雨の仙台で最下位に沈んだ王監督最終年、歓喜の優勝と日本一、工藤政権下のV4、「ファイト、九州!」などのイベント昨年の歴史的V逸「10.2」はZOZOマリンのレフトスタンドで立ち会った。
どれもホークスファンであったからこそ出逢えた瞬間だった。
そして今年は球団創設80周年、福岡移転30周年のダブルアニバーサリーイヤーだ。球団はこの記念すべきイベントに「思い出を、超えていけ。」のスローガンを掲げた。

そうなのだ。先ほどあげた輝かしい瞬間は、どれも今となっては思い出に過ぎない。
今のホークスは勝利を至上とし「めざせ、世界一」をスローガンにチームが成長し続けている。

思い出を、超えていこう。
そしてこの瞬間、この一年もまた素晴らしいと振り返れるシーズンにしよう。

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