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追憶の洋食屋

 今から約半世紀前、新宿3丁目の要通りの片隅に「キッチンいこい」という洋食屋さんがあった。その店を見つけたのは本当に偶々のことだったのだが、カウンターとカウンター横のテーブル席から調理の行程が丸見えのオープンキッチンの明るい店内からは、洋食屋独特の美味しそうなソースの香りが店外にまで漂っていた。食品サンプルを見るとどれも旨そうな料理ばかりが並び、しかも値段も安い。何度かこの店の横を通る日を過ごした後、或る日ついに意を決して店のドアを押した。
 
 入店して「さて何を頼もうか」と考えたが、昼時で込み合っている時間帯だったので、時間がかからないように皆となるべく同じものにしようと思い、周りの席でサラリーマンが食べていた「いこいランチ」を注文。これが実に大当たり!店名が付いたメニューだから、きっとイチ押しに違いないと思ったのだが、まさにその通りで、ワンプレートにデミグラスソースのかかったハンバークとタルタル風のソースがかかった白見魚のフライ、千切りキャベツがこんもりと添えられ、その横にはアーモンド型に抜かれたライスにカレーがかかっている。これにコンソメではなくコーンクリームスープのカップスープが付いて、その当時360円だった。その頃(1976年頃)の大卒初任給が78000円ほど、今年(2023年)の大卒初任給が21万円ほどなので、約2.7倍。従っていこいランチは現代の価格に換算すると900円ほどということになるだろうか?新宿3丁目という場所からすれば、まずまず妥当な価格だったと思う。
 
 今でも良く覚えているのは、カップスープがクリームタイプのコーンの缶詰で作られていたこと、そして白見魚のフライにかけられていたタルタル風のソースがマヨネーズではなくレモン味のソースで作られていたことである。
 
 他のメニューにはハンバーグステーキ380円、チキンライスにとんかつが乗ったシャッスルが400円とかだったかな?後に少しずつ値上げされた記憶もある。いこいランチは最後に口にしたときは420円になっていたかも知れない。何分約半世紀も前のことなので、記憶が定かでないのは致し方ない。あとちょっと贅沢したい時に頼んだのはAランチ(500円)で、これは日替わりの肉料理に大きめのスープ(皿盛でスプーンで飲んだ)とライスが付き、食後にはコーヒーまで供されるというもの。何だか高級な食事っていう感じがして、まだガキだった自分にとってはとてつもない良い気分で食事が出来たのだった。
 
 まだファミレスなどというものがほとんどなかった時代、ちょっとしゃれた洋食を安価で腹いっぱい食べられる店は実にありがたい存在だった。「キッチンいこい」は場所柄、近隣の商業施設の従業員やサラリーマン、そしてすぐ近くにある末広亭に出演している噺家の師匠たちも良くカウンターで見かけた。それだけ色々な人たちに愛されたファンの多い店だったと思う。
 
 バブルの頃、私は生まれ育った新宿区から一家揃って豊島区に引っ越すことになり、「キッチンいこい」から足が遠のいてしまったのだが、引っ越し先の豊島区で、嘗て「いこい」で働いていたコックさんが暖簾分けで開いた「キッチンモミ」(椎名町)というお店を紹介された。早速行ってみると、味は微妙に異なっていたが、ニュアンスは「いこいランチ」そのものの「モミランチ」がメニューにあり、懐かしいメニューとの再会を心から堪能した。その後新宿の「キッチンいこい」の前を何度か通ったが、もはやお店は跡形もなく消えてしまっていた。いつ閉店したのかの正確な時期も知らないうちに「いこい」は永遠の彼方に行ってしまったのだった。 


「キッチンモミ」のモミランチ

そして残念ながら、「キッチンモミ」も店主が引退して閉店してしまったが、その息子さんが数年前に「モミ」の近くで開店した「鐵八」という居酒屋の昼ランチに復刻版「モミランチ」が出るようになったのだ。 


居酒屋「鐵八」の「復刻モミランチ」

 今でも昭和レトロ好きな身としては、「キッチンいこい」のような洋食屋の残像を求めて新規開拓に勤しんではいるが、なかなか「いこい」に匹敵する店には出会えない。「キッチン南海」、「バンビ」、「街のハンバーグ屋さん」など、それぞれ特徴があり気に入っている店もあるが、やはり「キッチンいこい」は私にとっては永遠に失われてしまったが故に、別格だと言わざるを得ないのだ。




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