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故きを温めて新しきを知る

私が生まれたのが1960年
物心ついてから現在まで、今流に言えばイノベーションの連続でした
そりゃ覚えるのも使い熟すのも大変でしたよ

何しろ私が幼児や児童だった頃は、愛知県名古屋市に住んでいましたが、子供はツギの入ったランニングシャツに半ズボン、正にサザエさんの風景だったし、風呂は薪でしたしね

それが高校生の時、部活の数学部で「手回し計算機」があったんです
たくさんの歯車でなぜ計算ができるのか、不思議でしょうがありませんでした

その後「マイコン」が登場しますが、もうワクワクが止まりませんでしたね
これを読んで頂いてる方で、当時月刊マイコンという雑誌から「月着陸ゲーム」のプログラムを写したことがある方はいませんか?

それから社会人となり、配属先で最初に覚えた(覚えさせられた)のは「ソロバン」でした 時代逆行ですね
既に卓上計算機もありましたが部長と課長がソロバンが得意で、この二人が集計表なんかの検算をすると、ものの数秒で終わり私の計算ミスを瞬時に指摘し、よく怒られました
ソロバンができなかった私は自分の「計算力のなさ」にいつも凹んでいたものです

次に出てきたのは複写機(コピー機)です
それまで資料の複製は、がり版刷り(これも懐かしい)か、通称「青焼き」と言われる「湿式複写機」
原稿(トレーシングペーパー)と感光紙をセットして光を当てて、酸っぱい匂いの定着液にくぐらせるというものです
それに対して、今のタイプの「乾式複写機」が普及してきたのです
ただ、当時の乾式複写機は複写すると原寸より少し小さくなってしまうので、図面などは相変わらず湿式複写機で行っていましたが

次はワードプロセッサー(文書作成編集機)です 
それまでは、会社によっては和文タイプライターなんかもありましたが、私が勤めていた会社にはなかったため、ひたすら手書きで書いてました
ただ、書き直しの度1ページ分無駄になったり下書きしてから清書したりで、うんざりしたので、これを知ったときには嬉しくて個人で購入して会社持ち込みという形で使ってました
プリンターと画面、キーボードが一体になって携帯できるもので確か名称は「文豪Mini7」だったかな 懐かしい

また、それと相前後してオフィスコンピュータで、カルク(今のMSエクセルみたいなもの)が使えるようになりました
計算が苦手な私は、これで完全にソロバンとおさらばできて嬉しかったのを覚えています

なんかここまでは一気に変遷してきた印象です

その後はパーソナルコンピュータの時代ですね

PC/ATだとかDOS/Vは良いとか、MS/DOSがBASICに似てるだとか言いながらconfig-sysいじったりbach組んだりしていました 個人的に
当時は会社に導入する以前でしたからPCを使った仕事は家に持ち帰ってやってましたよ

当然独学が基本で、Nifty Serveというパソコン通信で質問を繰り返していました FTERMというフォーラムにはお世話になりました
通信は最初音響カプラで、その後モデムになりました ATコマンド打ち込んでたなぁ

これらと相前後して、外出時にはポケベルを使ってました
ベルが鳴ると近くの公衆電話に走って電話をかけますが、当時はせっかく外出しているのに鈴を持たされているようで嫌だったのを記憶しています

その後携帯電話に変わるのですが、請求書が届くたびに全ての通話履歴をチェックして私用で使っていないか確認する作業が大変でした
しかし、ポケベルと違って客先へのアポ取りが便利になったと喜んでました 

その後は、みなさんもよくご存知だと思います
インターネットの普及、PCの高機能化、通信速度の向上、電子メールのビジネス利用、専用回線の普及、WAN・LAN環境下でのサバ・クラ基幹システム、グループウェアツールの普と、クラウド移行と、この頃になるともう保守管理の業務からは離れて、労務管理する立場になっていましたので、技術的なことまで深入りすること
はなくなっていました

しかし、いくらイノベーションと言っても、PCのハード構成は30年前と変わっていませんし、WINDOWSを使っていればSYS管理やファイル管理も旧来と変わりません
扱うメモリやファイルの規模とデバイスが変わっただけともいえます

だから基礎が大事だとは言いませんが、今、面倒だったり不便なことでも将来の新しい技術の礎になって居るかもしれず、どんな経験も無駄はないとは言えると思います

今のみなさんが定年を迎える頃、世の中がどの様に変革されているのかは分かりませんが、その時にも、「昔と今を見比べると、こんな違いとこんな相似があるよね」と、これからの技術を見つめていってほしいと思います

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