日常会話における、会話を閉ざしてしまう要素について。そして私はそれを超えたい。
コミュニケーションというのは、
うまくやれば、どこまでも広がっていくだろうし、
うまくやらなければ、
すぐにでも閉ざされてしまう。
私は、
どこまでも広げていきたい。
だから、
だから私は、
エンカウンターグループをやっているんだと思う。
どこまでも広げていくために必要なことは何か?
私は、
高校生と共にエンカウンターグループをずっとやってきて、
あと2回で100回記念なのだが、
約100回を終えて、
ある言葉に辿り着いた。
どこまでもコミュニケーションを広げていくには何が必要か?
そして、何が必要でないか?
必要なのは、
『事実の共有』と、そこに付随する余韻。
そして不必要なのは、
それ以外の全部。
すなわち、
『事実の共有』のみが必要だということ。
『事実の共有』という段階が、何よりも重要で、そこを大切にしないといけない。
そして、その余韻も大切にする。
そしてそして、
それで終わり。
それ以上のことは、いらない。
それ以上のこととは、
例えば、
アドバイスや、
議論や、
否定や、
押し付け、などなど。
『日常会話あるある』
他人を優先してしまう、という性格の人は、
「ホントは自分も話したい」という気持ちがあっても、
誰かが既に話してたり、
既にその場の雰囲気が出来上がってたりすると、
「まぁいいか」と、
聞き役にまわってしまいがち。
私は、
そんな人の話が聴きたい。
エンカウンターグループでは、
それが可能だし、
なるほど、
私がエンカウンターグループをやるのには、
そういう理由もあるということか、
初めて言葉にしたけど、
結構その思いは強いかも。
出来るだけ、均等に話そうぜ、
という思い。
置いてけぼりは作るまい。
あるいは、
「この話をしたら、あの人が否定してくるだろうな」と思ったら、
その時点で、その話は具現化されない。
そこに誰がいるかで、
既に会話の広がりの可能性は、左右されている、ということ。
または、意見が強い人がいれば、その人以外は、ほぼ聞き役になるかもしれない。
そういう閉ざされた可能性を、私は掘り起こしたい。
どんな話でもOK、
安心してそれが出来る『場』、
そんな可能性をつくりたい。
それも、
私がエンカウンターグループをやる理由のひとつ。
おやすみなさい。
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