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23枚目 Replica「Tough & Free」(1988年)

 残念ながら、これを名盤と呼ぶことはできません。しかし、あえて採り上げてみましょう。
 個人的なことを書いておくと、僕はこのレプリカというバンドをデビュー曲の「Sugar Baby's Growin'」で知って、3rdアルバムの「ZERO & NOT for Rep's Baby's」まではよく聴きました。しかし、それ以降の作品はぽつりぽつりとは聴いていますが、ほとんど記憶にありません。ハッキリ言います。曲が良くないからです。

 デビュー当時、レプリカは謎のバンドでした。1stアルバムにメンバーのクレジットがないこと。ヴォーカルの浜崎直子ばかりがクローズアップされるのは仕方ないとしても、そのサウンドはバンドのそれとは思えなかったのです。当時は情報がありませんから、広島出身のバンドだとか、ベースの山中真一がユニコーンに加入する前の奥田民生とバンドをやる予定だったとか(山中がレプリカを結成したため、民生はユニコーン参加を決意した)、そんなことは全く知らず、浜崎をデビューさせるためにサポートメンバーを集めて架空のバンドを作ったんじゃないかとか、そんなことまで想像しました(実際はちゃんとしたバンドでした)。というのは、当時、メジャーデビューするバンドは何らかのテコ入れをされることが多く、要するに、アマチュア時代の編成からダメなメンバーを切り落としたり、逆に、必要なメンバーだけを引き抜いたり、そうやって<プロ>に相応しい形態を作られることが多かったからです。今とは違って、バンドマンたちにとっては<メジャー・デビュー>という言葉が憧れだった時代です。そういった条件を仕方なく受け入れてしまうバンドも多かったことでしょう。僕はレプリカもそんなバンドの1つだと思っていました。

 そんな中で、キーマンだったのがギタリストの鴨下信吾です。元ザ・ブドーカンというバンドでメジャー経験があり、後にダイヤモンズを結成。現在も隠れファンが多い超実力派です。このアルバムで鴨下は曲を書き、(たぶん)ギターを弾き、バンドの音が非常に洗練されながらもドライヴしているのは、鴨下の存在が大きいと僕は思っています。しかし、それはほかのメンバーたちの思惑とは違ったのかもしれません。どうも演奏がよそよそしいというか、どこかしっくりとこないものがあるのです。浜崎のヴォーカルの魅力は伝わってきますが、これがバンドの目指す路線ではなかったのかもしれません。では、なぜ鴨下がこのバンドにいるのでしょう?きっとレコード会社や事務所に送り込まれたのだと思います。おそらく、デビュー時のレプリカはまだまだ<プロ>としては物足りないレベルだったのでしょう。だから楽曲も、浜崎が数曲で歌詞を書いている程度で、鴨下と松澤浩明(浜田麻里などへの楽曲提供で知られる)などの外部ライターが書いたものが中心なのでしょう。なお、サウンド・プロデュースを担当した芳野藤丸も曲提供していますが、こういうのはよくあることですね。1stアルバムが7月に出ると、鴨下は年内に脱退。翌年3月には2ndアルバムが出ますから、その制作期間を考えると、鴨下はほんの僅かしか在籍していなかったことになります。

 そして、5人体制の2ndアルバムでの演奏は、ラフながらも非常にバンドらしい一体感のあるもので、1stのよそよそしさが嘘のようです。そして、楽曲もメンバーが作っているのですが、残念ながらこれがよくありません。1stと比べて明らかにレベルが落ちています。3rdアルバムではいくつか良い曲が生まれているものの、楽曲が魅力とはなり得なかったというのが僕の印象です。もちろん、浜崎のパワフルなヴォーカルは魅力的ですし、バンドとしての魅力も増していくのですが、やっぱり音楽はまず楽曲ありきなのだと思いました。そんなわけで、この1stは楽曲は良いものの、いいアルバムとは言いにくいのです。個人的には思い入れがあるんですけどね。

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