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15枚目 REACTION「INSANE」(1985年)

 日本のヘヴィメタル・シーンにおいて、1985年という年は重要です。ラウドネスが「THUNDER IN THE EAST」をアメリカのATCOからリリースし、日本のロックを世界に進出させた年。聖飢魔IIがデビューして、一般層にヘヴィメタルの存在を知らしめた年。SHOW-YAがデビューして、女性ロッカーの存在をメジャー化させた年。つまり、これまでマイナーで一部のファンのものだったハードロック/ヘヴィメタルという音楽が一気に浮上するきっかけとなった年なのです。
 メジャーなところでそういった動きがあった一方、アンダーグラウンドでも、多くの若手バンドが蠢いていました。その中で一歩抜け出したのがリアクションでした。

 44 MAGNUMの事務所が運営するレーベル、DANGER CRUEから85年にインディーズ作品としてリリースされた「INSANE」は、インディーズ・メタルとしては初の1万枚を超えるセールスを記録します。翌年にDEAD ENDが「DEAD LINE」を2万枚以上売り上げてこの記録をあっさりと抜き去ってしまいますが、メジャーなメタルバンドですら1万枚売れていたか分からない時代です。1万枚というのはありえない数字でした。その影響は大きく、後進のインディーズ・メタル・バンドたちに道を切り開いたといってもいいでしょう。

 リアクションは1983年に結成され、44 MAGNUMのローディをやっていた加藤純也がシンガーとして85年に加入すると(たしか、加入して最初の仕事が「INSANE」の制作だったと思います)、バンドの活動は一気に加速していきます。ちなみに、純也の前任のシンガーは元ムルバスで後にエモーションを結成する岸本友彦なのですが、岸本のヴォーカルは技術的に秀でた反面、声質がソフトで、対してまだまだ若い純也は、技術がない代わりにひたすら力で叩き付けるような歌い方。どちらも一長一短ではあるのですが、下半身への欲求全開の彼らの歌世界には、純也のガツガツした歌い方のほうが合っていると個人的には思います。

 リアクションのサウンドが印象的だったのは、そのサウンドです。アメリカともイギリスともドイツともつかないメタル・サウンドはまさに純日本製で、スピード感とヘヴィさを意識しているのにパワーメタルでもスラッシュでもなく、ましてやジャパメタにありがちな歌謡曲的な展開を持ったものとも違う個性的なものでした。当時、アメリカでは既にメタリカやスレイヤーなどがスラッシュ・サウンドを生み出していましたが、日本の"正統派"のメタルファンからは厭み嫌われていました。当時のスラッシュはアンダーグラウンドな存在で、日本ではGISMやカスバなど、ハードコア寄りのバンドと同類のように思われていたのではないかと思います。リアクションの場合は、どちらかというと(同年にメジャーデビューしたアンセムほどではないにしろ)パワーメタル的な要素を感じますが、これは恐らくメンバーの中でも年長者で長いキャリアを持つドラムの梅ちゃんこと梅沢康弘の重いドラミングの影響であり、サウンドそのものはパワーメタル風ではありません。

 その違いを最も演出していたのは、ギターのYASUこと斉藤康之のバッキングでしょう。テクニシャン・タイプのギタリストではありませんが、楽曲作りやリフ作りは非常に個性的でした。スピード・チューンではパワーコードの白玉(ロングトーン)を多用し、ミディアム・チューンでは低音弦の刻みとパワーコードの組み合わせによるリフを展開。ある意味、パンク的ともいえるようなリフを持ち味としていました。特にパワーコードのロングトーンはシンプルなアイデアながら、ほかに似たようなことをやっているギタリストはあまり思い浮かびません。梅ちゃんの2バスドラムが地を這うようなヘヴィさで突進する上で、そこに肩車しているような不思議な浮遊感があるのです。

 さらに、音響処理もユニークでした。多くのメタルバンドが前に前にとサウンドが飛び出てくるような迫力を目指したのに対して、少しくぐもったような奥行き感を感じるのです。最初は、インディーズならではの予算や技術的な問題なのかと思いましたが、メジャーの2枚目「True Imitation」ではそれをさらに突き詰めたようなサウンド作りをしているので、これは意図的なものなのかもしれません。

 と理屈を並べてきましたが、このアルバムは男のヤりたい気持ちをこれでもか!と押し出した作品なので、音が云々とか言ってるヒマがあったら、女の股を開かせる方法でも考えた方がいいかもしれません。いやー、若い頃はこんな歌を恥ずかしげもなく爆音で聴いていたんだなぁ。でも、このアルバムを聴いて燃えるうちはまだまだ大丈夫でしょう!

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