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コマラジ「Japanese Rock 80's On Radio」2024年1月10日<佐久間正英特集>

2024年1発目は、佐久間正英さんが2014年1月16日に61歳で亡くなって10年目ということで、佐久間さんの自身の作品とプロデュース作品からチョイス。

佐久間正英といえば、70年代に四人囃子に途中加入し、解散後はPlasticsに参加。アメリカのローカル・シーンでも人気でした。

その頃からプロデュース・ワークも始め、BOOWY、The Street Sliders、UP-BEATなどを担当し、日本の80年代ロックをメジャーなポジションへと導きました。
90年代には、黒夢、GLAY、JUDY AND MARY、エレファント・カシマシほか、バンド系のプロデューサーとして絶大な信頼のもと、多くのヒットを生み出します。
日本における独立系「サウンド・プロデューサー」の先駆けのような存在でもあります。

プレイヤーとしての実力も一流で、学生時代から演奏していたトランペットやギターのほか、四人囃子に加入する前に始めたというベースは、自身がプロデュースしたバンドのベーシストには「佐久間式ピッキング」と呼ばれた逆アングル・ピッキングを伝授していったことでも知られています。
また、機械関係にも強く、あのTR-808(ヤオヤ)の開発にも携わっていたといい、その初号機はPlasticsのレコーディングで使用されています。

M1 
Plastics「Top Secret Man (Live Version)」(1980年)

最初はアーティスト時代の作品から。ガッツリ70年代の四人囃子は飛ば巣として。これはPlasticsの代表曲の1つですが、90年代に発掘された1980年にアメリカで行ったライヴ音源からチョイス。

M2 
P-MODEL「美術館で会った人だろ」(1979年)

初プロデュース作はP-MODELのデビュー・シングル。Plasticsのファンだった平沢進から直に依頼があったそう。実は日本デビューはP-MODELの方が先だが、Plasticsはその前に英国デビューしており、ライヴもそれなりにやっていたことから、日本でレコードデビューする前からマニアックな認知度はあったようだ。

M3 
SKIN「命しらず」(1981年)

近年、国産パワー・ポップの傑作として海外でも評価が高いSKINのデビューシングルのB面。本当はA面の「ヴァージン・コンプレックス」をかけようと思ったのだが、再発されたアナログ盤の溝切りに失敗したのだろうか、レベルを突っ込みすぎていて、どうやっても針跳びしてしまう。なので、比較的その影響が小さかったB面をかけました。こっちも名曲。

M4 
根津甚八「おいらは街のJUPONハキ」(1984年)

意外と知られていないが、これこそが80年代ジャパニーズ・ロックのメインストリームが生まれる起点となった重要曲。この曲を収録した『+B 1984 BERLIN』は西ベルリン・ハンザトン・スタジオ録音で、この時、佐久間はエンジニアのマイケル・ツィマリングと出会っている。ハンザトンで録音した日本人は、79年の一風堂(土屋昌己)、80年の加藤和彦に続いて3人目。おそらくこれがなかったらBOOWY『BOOWY』は生まれていない。この曲も実は音楽にはこだわりが強かった根津甚八らしい、インダストリアルでダークなビートのファンク。

M5 
BOOWY「DANCE CRAZE」 (1985年)

このアルバム、『BOOWY』の録音で西ベルリン行きを決めたところから歴史が動き出す。思った以上に歌謡曲っぽい曲が多かったことに佐久間は苦戦したようだが、BOOWYの作品の中で唯一布袋がリード・ヴォーカルを取ったこの曲は、上記の根津甚八の作品から連なる、実にドイツっぽいインダストリアル感があって、アルバムの中では異色の1曲となっている。実はこの曲こそが次作『JUST A HERO』に続く基盤となっているように思う。そして、この後エンジニアのマイケル・ツィマリングが来日。日本のロックのサウンドを変えていく。

M6 
ZELDA「Emotional Beach,Communication Party」(1987年)

佐久間正英ーマイケル・ツィマリングのコンビが手がけた一例として。かなり個性的な感性をもっていたニューウェイヴ・バンドの本質を損なわずに、見事にメジャーなサウンドにアップデートしている。この曲も実にヘンな曲だが、不思議とするりと聴けてしまう。『C-ROCK WORK』収録。

M7 
四人囃子「NEVER ENDING STORY」(1989年)

80年代の再結成四人囃子のアルバム『DANCE』収録曲の中で最もポップな曲を。ギターの森園勝敏が参加しなかった、佐久間、岡井大二、坂下秀実の3人編成時の作品。何気にかなりヘンな作品だが、メジャーでこういうことができた最後の時代かもしれない。

M8 
佐久間正英「Stay」(1991年)

2枚目のソロアルバム『in a garden〜創造の庭で』収録。ほかの3枚のアルバムはアンビエント色が強いが、このアルバムだけ歌モノロックな仕上がり。佐久間のプロデュース作はメジャー感のある聴きやすいものが多いが、自身の作品はそういうものが少なく、そういう意味ではこのアルバムは異色。

M9 
Dip in the pool「Miracle play (on Christmas)」(1988年)

エンディング・トークのBGMとして。これも佐久間のアンビエント趣味の一環か。この曲はDip in the poolで最も有名な曲だと思うが、シングル・ヴァージョンだと日本語歌詞でクリスマス感が強すぎるので、アルバム『10 Palettes』から英語ヴァージョンをチョイス。

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