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著書紹介 『遺す言葉~外務省の「マレビト」による講話~』

遺す言葉カバー

「遺す言葉 外務省の「マレビト」の講話」(一粒書房)2020年4月日発行

この本は、2020年3月に外務省を定年退職する機会に、外務省時代に行った大学での講演の模様を、着色というか、脚色して、実際の講演内容を変え、また、大学の名前を加工しておりますが、高校生講座等で話したことなのも随所に入れた、ある意味での私の仕事の集大成の一つでもあります。マレビトに関心があったので、会えた自らをマレビトとしましたが、変わりものの外交官であったとは言えましょう。講演で活用した参考書籍リスト、そして外務省時代に行った講演の高校、大学等のリストも参考につけております。なお、本書の「はじめに」の部分は次のようなものです。

「「はじめにーマレビトの声に耳を傾けて」

「人間というものがこういうものであるからには、いつかまた似たようなことが起こるであろうが、その時、その出来事をはっきり見定めようとする人が、私の記述を有益だと思ってくださるなら、それで十分である。本書は今日の聴衆の喝采を得んがために書いたのでなく、未来永劫にわたっての財産になることを願って書いたものである」
                      トゥキュディデス『戦史』

 外交官としてフランス語圏で二十年間程勤務したのですが、国益を追究する立場での目線というよりも、外務省に入ろうと思ったきっかけとなったスタンダール『赤と黒』のジュリアン・ソレルのような目で世界を眺めながら、世の中の動きに、人の生き様に興味を抱き続けてきた三十八年間に渡る外務公務員としての職業人生でもあった気がします。
 ところでそのジュリアン・ソレルの目線はどんな目線だ、と問われると、しどろもどろになりますが、生まれ以って与えられた環境に屈することなく、自らの可能性に賭けた、挑戦的な試みのための投射的目線とでも申しましょうか。それは、『論語』の孔子の、あるいは、『学問のすゝめ』の福沢諭吉の、または、『異邦人』のアルベール・カミュの人生の不条理への抵抗的目線とも言えるかもしれません。
 もっとも外交官としての最初の赴任地がアフリカのザイール(後のコンゴ民主共和国)でしたので、民族学的で、文化人類学的な目でザイール人の社会行動を見ていた気がします。カミュの目線とは違う、どちらかと言えば、上から目線であったかもしれません。言わずもがなではありますが、『悲しき熱帯』『野生の思考』等の著者で、日本文化、特に縄文文化についての造詣も深かったフランスの社会人類学者クロード・レヴィ=ストロースや、『自殺論』『道徳教育論』等の著者で同じく人社会学者エミール・デュルケーム、あるいは、我が国の民俗学の先駆者ともいえる『遠野物語』の著者柳田國男の目線とは、雲泥の差、月とすっぽんの差以上の差、という感じでありますが(笑い)。
 平成の世から令和の世に時代は移りましたが、グローバリゼーションの流れは、新型コロナウイルスのパンデミック的な現象に象徴されるように、日常生活に広く、そして深く影響を与えております。そのような時代に、何を指針として生きるべきかを考えなければいけませんが、「下手の考え休むに似たり」でありまして、猫も杓子も、とりあえずはスマホを、ということかもしれません。
人が考えることを停止したかのような世の中ではありますが、わたしは、五十を超える高校、大学で講演をして参りました。もっとも、わたしが話せることは、人と人との違いとされる経験に基づくエピソード(episode)というか、アネクドート(anecdote)のような話でありまして、間を持たせるために、読書を通じて、わたしの好奇心や野心を刺激し、勇気を与えてくれた偉人、賢人の言葉を披露しておりました。
 本というものは須らくある時点の過去を語っています。読書とは、自分を、人をと言ってもいいかもしれませんが、文字を通して、自己を再発見する旅とも言えます、時空を超えて。人はまた、過去の遺産によって今の存在を許された生き物とも言えます、パスカルの『パンセ』にある「考える葦」として。その過去の遺産としての叡智が書物に遺る言葉であります。
凡夫であるわたしにはもったいないほどの叡智溢れる言葉に出逢うのは、ある意味で僥倖でありますが、そうした言葉を発した人というのは、『古代研究』、『死者の書』等の著者の折口(おりくち)信夫(しのぶ)のいう、マレビト(希人、希に来る人、または特に招かれた人という意味かなと)ではないかと思っております。わたしの故郷秋田にもマレビトと称される「なまはげ」がおりますが、わたしの言うマレビトとは、「希にしか人の目に触れない存在で、ある危機的な状況に際し、神の声を伝えるためにいずこから顕れ、警告を発し、人々を善導する存在」。但し、ホメロスの『オデュッセイア』の言葉ではありませんが、全ての人が神の姿やマレビトの姿が見えるという訳ではなさそうです」

発行日 2020/4/20
ページ 211頁

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