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著書紹介 『思考の日々』

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「思考の日々」(岩波ブックセンター)2007年8月20日 発行

この本の前書きを先ずご紹介します。

「前書き
 仏の社会政治学者であり経済学者でもあるギィ・ソルマン氏は5月9日付仏誌エクスプレスで「今日の仏社会を支配しているは、世論である。世論とは知識とは反対のものである。政治家よりも特別の知識も経験も有さない平凡なる市井の人の発言が幅を利かせ、知識人の沈黙によって一種の閉息状態を迎えている」旨述べている。
諸外国での日本に関する報道は、日本を他国の国民が如何様に見ているのかを知る一つの参照となる。しかしながら、その報道振りを国民がどのようにとらえているのかは、報道だけが唯一の情報ではないことから、画一的な表現をもって米国はこれこれで、英はこれこれだとは断言的には言えない。特に数年以来、先進各国では新聞の発行部数の減少が見られる。それはテレビの影響によって一種の文字離れが起こっているのであろうし、または純粋にコストからくる経済的な理由もあろう。更には、新聞が冷戦後、イデオロギー的な方向性を失い、いわゆる使命感が揺ぎ、結果として職業として魅力を失ない、そのため優秀で意欲のある記者が少なくなり、その帰結として記事自体も弱々しいものとなり、読者の新聞離れが起こっているとする見方もある。
 しかしながら、冷戦後のイデオロギーの平準化なり収斂とは裏腹に、旧ユーゴー情勢しかり、中国・台湾関係の緊張しかり、ミャンマーの民主化に逆行する動きしかりで、国際社会を不安定化し、または、震撼させる事件は後を絶たない。また、国内においても様々な事件が起こっている。昨年以来、外国のプレスが関心を持った主だった事件、出来事でも、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、その後のオウムに係わる事件・裁判、そして戦後50周年に関する戦争責任や一連の記念行事、住専問題、エイズ薬剤問題、沖縄の少女暴行事件、米国三菱自動車セクハラ事件等と盛りだくさんである。このような事件に関する報道振りは残念ながら、日本のイメージを良くするものでなく、マイナスのイメージを助長するものとなって世論が形成される結果となっている。
 国際世論を形成する各国の報道機関の論調は、国を対象にする場合もあれば、個人を対象にする場合もあるが、民主主義社会では「個人の生の声」に関心が当てられていると言えよう。そして欧米、就中、米国のような報道機関はボーダレス化を先取りし、CNNや最近の国際的なインターネット通信等にも見られるように、情報に関しての国家と個人の垣根は英語を媒介として取り除かれていく傾向にあると言えよう。
 こうしたボーダレス化と民主主義のグローバライゼイションに平行してというか、逆行してというか、国家の主権の縮小、または他国との主権の共有の傾向が見られる。「共存」、「共生」という言葉が使われて久しいが、21世紀に向けて依然として国を単位とする国際社会が直面する大きな問題は、如何に上手に個々の主権の共有を行いうるかであり、それは一種の賭ではないかと思われる。また、共産主義は敗北したと言われるが、欧州統合にしても世界の動きを見ても、いわゆる「共同体」の概念は現代資本主義社会でも残っている。民主主義、市場経済という道具だけで、果たして何が待ち受けているか分からない21世紀の安定と繁栄を得られるのだろうか。私の私論はこのような素朴な問題意識に基づいてのものである。」

私の日々の素朴な考えを、徒然に書いた、初めてのエッセイと言える作品で、「霞の館から」と「思考の日々」の2つのエッセイからなっています。エッセイというよりも、随筆に近いかもしれません。前者は、セネガル在勤時に書き溜めたもので、後者はパリ在勤時のものです。異国に異邦人として住んで、その異邦人の目で、セネガル、フランスを眺めながら、日本を、文化を考えた随筆であります。ちなみに、「霞の館」の霞は、外務省の位置する霞が関から取った題名ですが、この頃から、私の読書量が随分と増えたこともあって、私がそれまでに読んだ本のリストも参考につけてあります。まさに思考錯誤の時代の作品と思います。

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