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令和の徒然 (10) Le ver est dans le fruit(果物の中に虫がいる)

1.冒頭の文は、フランスの高級日刊紙「ル・モンド」の9月7日付フィリップ・ベルナール記者の書いた「Au Mali,l'aide au developpement tue l'Etat」と題する記事にあった文ですちなみに、verは虫の意味ですが、versは詩句になります。なお、今使っているCPは、仏語表記(アクサンテギューとかの表記ができない)ので念のため。
 西アフリカに位置するマリは、8世紀ー13世紀、ガーナ王国が、13世紀ー16世紀にはマリ帝国、そしてその後もソンガイ王国、バンバラ王国が栄え、黄金の都といわれたトンブクトゥはモロッコ軍の支配下におかれたこともあるようです。20世紀になり、フランスの一部となって、1960年にセネガルと連合して独立したものの、その後分離して、今日に至っております。北部には、トゥアレグ族の他、ムーア人(いわゆるベルベル人)など、多民族国家で、イスラム教徒が80%を占め、公用語はフランス語ではあるが、バンバラ語、マリンケ語、トゥアレグ語などが使用されている(ブリタニカ国際百科辞典参照)と。
 セネガルに勤務した1997年-99年に、2回マリを訪れたことがあります。当時はセネガル大使館がマリを兼轄しておりましたので、ダカールから飛行機で大使(残念ながらすでに故人となっています)と一緒に、経済協力の引き渡し式参加のために参りました。首都バマコは、ダカールに比べると、まあ、ザ・田舎という感じでしたが、王国であった国は違います。文化があるのです。実際、マリ出身の芸術家(映画監督も含め)が多く、経済発展レベルでは測れない力があるのです。印象的だったのは、なんといってもトンブクトゥの土のモスク、そして、山の神、ドゴン族でした。ドゴン族の踊りを生でみて、その躍動感に感動しましたが、ドゴン族の編んだ衣服を土産にもらったのですが、これが重くて(笑い)。特別の染め物のようですが、まあ、私には猫に小判。
 もう一回は、当時、日本が積極的に行っていたTICADというアフリカ開発会議のために東京から来られた担当の片倉大使とマリの大統領との会見のため、通訳として同行したのでした。はい、通訳です。片倉大使はイラク大使などをされた、イスラムの専門家でありましたが、最初、挨拶をアラビア語で始めたのですが、大統領は、「ん」、という反応で、その後はまあ、私はだましだまし仏語の通訳をした訳です。
 ル・モンド紙の記事の題は、「開発援助(支援)は国(マリ)を殺す」というもので、アフリカの民主化のモデル的だったマリで、国際援助が上手くいっていない状況を表した記事です。冒頭の「果物の中に虫がいる(内部から崩れ始めている)」という表現は、援助では解決できない、内部の問題を分析しているのですが、男女平等とはいえ、若い女性(むしろ幼い)がお金持ちなお爺さんの奥さんにならないと生きていけないような状況もマリにはあるわけです。そういう状況に、どれだけ外国の援助が効果的であるのか、これまでどれだけの援助をしたのかを考えると、確かに無力感はあります。

 援助で「お互いウイン・ウインの関係に」とは言いますが、貧困のスピラルから抜け出ることが出来ないアフリカの国、たくさんあるでしょう。貧困の悪循環というか、そしてその貧困を食い物にしているテロ組織もあるわけで、マリは大変な状況なんでしょう。私の同期が今、現地で閣下として陣頭指揮をとっており、また、キンシャサ時代の同僚も勤務しておりますし、過酷な生活環境の中、ご苦労さまであります。
 あえてマリのことに触れたのは、仏教徒は施しというか、他者への援助を功徳とは考えていない、宗教は俗世間から超越したものとする認識がある(法華経信者は違うようですが)一方で、キリスト教徒はそうじゃない。困っている人を助けること、公的な活動をすることで自らが救われる、そんな面があります。国際的援助というのは、植民地を抱えていた欧州の、懺悔にも似た行為ではありますが、援助に熱心な国は、主に、キリスト教圏でしょう。では、日本の援助は何に基づくのか?
 宗教心と無関係な援助が日本の援助であると割り切れるのか、どうか。私的には、日本の援助は日本人の精神性と関わりが多少はあると思っています。情けとか、慈悲とか。自助努力が重要であることはみんな分かっているわけで、問題は、その自助努力が実を結ぶことになる努力が出来る人と、出来ない人がいることを分かった上でのことであるかということ。努力したからと言っても、皆成功するわけでもなく、逆に努力しなくても、運だけで成功する人もいるでしょう。安易に自助努力を声高に言うのは、いかがなものかと思います。

 援助というのは大変に難しいものだと思っていますし、それ故に、人にお金を貸すということも簡単ではありません。そういう難しさもあったのかもしれませんが、対アフリカ向けの政府開発援助はいわゆる返済なしの無償が大きかった訳です。日本の戦後の成功には、公衆衛生面、食料面、教育面での取り組みが経済発展の上で大きく貢献したとされ、対アフリカ援助も、日本の成功のモデルを保健衛生(病院建設、マラリヤ対策)、漁業・農業開発(稲作、植林も含め)、そして学校建設、給水関係で技術援助も含めて実施してきたわけです。青年協力隊の活躍もあり、日本のやっていることは立派なもんだと思っていますが、経済協力におけるイノベーション(それは結果的には受益国にとっての政治的イノベーションを必要)が必要でありましょうし、日本も含めて、先進国の対発展途上への経済協力、コロナ禍もあり、岐路に立たされているのではないかと。

2.私の経済協力の関係は、ジブチとセネガルくらいですので、専門性もありませんし、これ以上言うことはないのですが、グレコやイブ・モンタンなどが歌った「枯れ葉」のフランス語の歌詞を眺めていて、幾つか疑問に思ったことがあります。
 第一の点は、les feuilles mortes se ramassent a la pelle の日本語の歌詞にある、例えば、「降りつむ落ち葉」あるいは、「かき分けるほど積もった落ち葉」の訳は正しいのか、そしてその落ち葉は誰が集めているのか? なお、言葉としては、日本人は枯れたものよりも、拾って得になりそうなもの、落ち葉が好きなんですねえ(笑い)。
 第二の点は、恋人関係にあった時にある歌を歌っていたのは、男性か、女性か?言い方を変えると、この「枯れ葉」という歌の主人公は、男性か、女性か、ということです。
 第三の点は、枯れ葉を見ている情景から、浜辺で別れた二人の足跡が波によって消し去られる情景が出てくるのですが、この消された足跡の意味するものについての疑問です。
 フランス語の歌詞から主人公が男性か女性かを見分けることは出来ないのですが、フランス人女性(多分、遍く世界の女性が)は、過去の別れた男性を未練がましく、思い出したりは多分しないでしょう。
従って、此の歌の主人公は男性で、かつて歌を歌ってくれた恋人は女性ということになります。なんともフランス的というか、女性がいつもくちすさんでいた歌があって、その歌が二人のことを語るかのように似ていたと男が懐かしんでいる訳で、これはどこか、田山花袋の「布団」の主人公のような感じ、匂いがします。
 それから、la pelle というのは、シャベル、スコップという意味ですが、普通、枯れ葉は、スコップではかき寄せません。熊手でしょう。熊手はrateauハトと発音しますが、ハトでは、歌の流れや音として調和しません。それもあって、a la pelleア・ラ・ペルという音の良い成句(沢山、一杯の意)を使ったんだと推測しますが、熊手で枯れ葉をせっせと集めているのは本人(男性)か、または清掃人ということでしょうが、本人なんでしょう。枯れ葉というのは、多分、「思い出」の象徴的存在、或いは比喩的なものとして使われていて、それを一生懸命にかき集めているということなんでしょうが、なんとも女々しい(失礼)のが気になりますが、フランスの詩は、上手く韻を踏んでいますね。
 しかし、思い出(過去の歴史)に対しての姿勢が日本人と西欧人(フランス人)との大きな違いのように思います。日本人は枯れ葉は、枯れ葉であって、その使いみちは、何かを焼くため、例えば、焼き芋、あるいは、手紙を。過去を懐かしむフランス人は、日本人とは違い、決して枯れ葉(過去の歴史)は焼かないでしょう。会田雄次が言うように、日本人は過去を「白紙化」し、フランス人は「黒紙化」しますから。
 それから、砂浜に残っていた別れてしまった恋人たちの足跡を波が消し去るという描写la mer efface sur le sable les pas des amants desunis は、大変美しいのですが、波の仏語はvagueやlameという単語はありますが、海la merという単語を使ったのは流石だなあと思います。足跡は消されても、思い出(過去の経験であり、歴史)は消えない、まあそういう歌なんでしょう。フランス語のついでに言いますと、砂(浜)はsableで、刀はsabre、海はmerで、母はmereで、父はpereで、真珠はperleと、発音は微妙に違いますが、日本人には似た音に聞こえますが、音の違い・アクセントを聞き分けることもフランス語上達には欠かせません。フランス語の歌が日本人にも耳障りが良いのは、母音の効果がありますが、歌は、詩は音が命かなあと。
 私の理解が正しいかどうかはわかりませんが、歌の主人公が男性であれ、女性であれ、西洋人は、過去のことは決して忘れない(だから文字化するのです)ということを私達日本人は忘れてはいけません。そういう教訓としてこの歌を覚えておくことも案外、国際化の時代では大切なことではないかと思う次第です。そして、外国の詩を訳す、理解することは、至極難しいけれども、人と人との相互理解にとっても、極めて大事なことではないか思います。それに、詩は音楽性(アナログ)と言語性(デジタル)の融合的芸術でもありますし。
 そして、時には、自分のお腹の中の未来を見通す「詩」「志」ではなく、国にあっては、「理想」や「思想」ではなく、身を滅ぼし、国まで滅ぼすような「虫」がいないかを、チェツクすることも大事ではないかと思います。 了

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