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令和の徒然 (8) 「日本人の思想」

1.日本人は、古来、外からの様々な思想を学んできたわけですが、その度に、その新知識に驚愕し、そして不安と警戒心を抱きながら、摂取のあり方に心を砕いてきたのでしょう。私が日本の思想の全貌を把握できるとはとても思えませんが、幸いにして、日本の思想を知る上で、大変に重宝な本がいくつかあります。例えば、清水正之「日本思想全史」(ちくま新書)は430ページと、大変お手軽な参考書になっています。また、末木文美士「日本の思想をよむ」(角川ソフィア文庫)は310ページ程で、思想家とその著書の紹介を兼ねたハンディな本になっています。

2.日本人の思想を理解するには、少なくとも2つのアプローチがあるのではないかと思います。一つは、先人の書き残した文書を読み解く作業と、そこから導き出される、リトマス紙を使っての色分け、あるいは、フィルターを通して抽出された残ったものを集め、再構築する作業がそれで、もう一つは、思想家の人物像に焦点を当てた、謂わば人格的分析を(善い価値としての)「徳」という視点から見ることがあるのではないかと。こうした理解のアプローチの帰結として、求めるものが得られるかどうかは、事前にはわかりませんが、大切なこととして、先人の思想が思想として今に遺るためには、それを理解しようとした人が、後世に伝えようとした人の功績が不可欠であります。そういう意味で、富永仲基の加上の法則を見出した、内藤湖南の功績は大きいでしょう。なお、富永仲基については、清水正之さんの「日本思想全史」には簡単な説明が載っていますが、山本七平「日本人とは何か」(祥伝社、811ページ)には、「加上」についての詳細な説明がなされております。

3.日本人の思想と言えば、多くは宗教、特に仏教に関連した精神思想に出会うわけですが、伝統には、大伝統、中伝統、少伝統があるとした場合、それと同様に思想にも、大思想、中思想、小思想のようなものがあって、それぞれが、建造物における土台、柱、屋根といった位置づけで、今私たちのものの考え方にも生きているように思えます。それに、日本人に精神的支柱としての思想がなければ、構造物であれば、常に揺らぎ、そして、倒壊してもおかしくありませんし。
 思想というのは、畢竟、ソクラレス的に言えば、人の、プラトン的に言えば、国家の真善美を考えることであって、善く生きるための、善く生き延びるための思考であり、知恵と申せましょう。ある意味でポール・ヴァレリーの言う方法論ともいえます。

4.日本は、元寇の役も含めて、なんとか国として生き延びてきた訳で、「勝者」とも言えます。偶然的な運の強さでそうなったかもしれませんが、思想というものは、現実に即せば、「である」を解釈するとともに「あるべき」姿を顕した「叡智」ということなんでしょう。それはしかし、多様性の意味合いを考えると、「勝者」にとっても、また「敗者」にとっても益するものとなってこそ、意味がある、そんな気がしております。

5.9月中旬に、次作目となるかもしれない本の原稿を書き終えたのですが、その際、日本の思想を考える上で、代表的な日本人を調べてみたことがあります。例えば、内村鑑三の『代表的日本人』(岩波文庫)があります。なお、内村は新渡戸稲造の「武士道」同様に英語での出版(「Japan and the Japanese」)し、その後日本語訳の翻訳が出て、それが『代表的日本人』(ただし、序文と4編を除く)ですが、岡本天心の『茶の本』(英語で「The Book of Tea」)もそうです。内村が挙げている日本人は、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の5名。

6.また、歴史学者の磯辺道史さんの『日本人の叡智』には、様々な分野で活躍した日本人を取り上げておりますが、始めて知った人物も多く、日本人の叡智の幅も奥行きの深さに感銘を受けました。やや変わり種という意味では、1970年の大阪万博を企画した堺屋太一さんの『日本を創った12人』(PHP文庫)があります。聖徳太子(厩戸王)、光源氏、源頼朝、織田信長、石田三成、徳川家康、石田梅岩、大久保利通、渋沢栄一、マッカーサー、池田勇人、松下幸之助の12名ですが、経済産業省の出身だけあって、国というのは、政治や経済のハードな枠組みというか土台があって創られるという認識を表すようにも見えます。紫式部『源氏物語』の主人公で、実在しないプレーボーイの光源氏、決してメジャーな思想家とは言えないが、心学の石田梅岩、更に、異国人のマッカーサー、そして戦後の日本を築いたモノづくりの先駆け的具現者松下幸之助が選ばれています。

7.他方、渡邊毅「道徳の教科書」(PHP文庫)には、道徳的視点から、聖徳太子(厩戸王)574-622、和気清麻呂733-99、菅原道真845-903、源義家1039-1106、源頼朝1147-99、熊谷次郎直実1141-1208、日蓮1222-82、北条時宗1251-84、楠木正成?-1336、中江藤樹1608-48、山鹿素行1622-85、徳川光圀1628-1700、塙保己一1746-1821、高田屋嘉兵衛1769-1827、前野良沢1723-1803、本居宣長1730-1801、伊能忠敬1745-1818、二宮金次郎1787-1856、橘曙覧1812-68、西郷隆盛1827-77、吉田松陰1830-59、橋本左内1834-59、高杉晋作1839-67、東郷平八郎1847-1934、乃木希典1849-1912、徳富蘇峰1863-1957、広瀬武夫1868-1904、佐久間勉1879-1910、吉川英治1892-1962、豊田佐吉1867-1930が登場しております。

8.末木文美士さんの「日本の思想をよむ」は、空海、鴨長明、二宮尊徳、宮沢賢治、南方熊楠、源信、慈円、平田篤胤、柳田国男、田辺元、最澄、法然、叡尊、夢窓、蓮如、鈴木正三、伊藤仁斎、栄西、明恵、聖戎、世阿弥、一休、白隠、安藤昌益、親鸞、道元、無住、不干斎ハビアン、鉄眼、富永仲基、和辻哲郎、荻生徂徠、本居宣長、内村鑑三、鈴木大拙、西田幾多郎、丸山眞男、日蓮、吉田松陰、中山みき、福沢諭吉、清沢満之の思想がそれそれの著書を介して説明されております。上記で引用した山本七平の「日本人とは何か」の「現代人日本の原型」には、富永仲基と儒者の山片蟠桃(1748-1821)が、「現代日本国の原型」では、経世家・和算家の本多利明(1744-1821)が挙げられおります。

9.大雑把な言い方としては、末木さんの本を参考にすると、日本の思想に流れる潮流には、日本的な「他者親密型」の生き方と欧米的「自己統合型」との、そして男性的「正義の倫理(垂直的力の論理)」と女性的「ケアの倫理(水平的エコ的優しさの論理)」のせめぎあい的な葛藤が見られますが、日本人の自然との関係が色濃いということかと思います。日本人の思想、興味はつきません。
以下は、フラグメントですが、ご参考まで。

(末木文美士「日本の思想をよむ」から)
「立派な都のうちに並び立って美麗を誇る身分の高い人、賤しい人の住まいは、時代を経ても変わらないが、それが本当かと調べて見ると、昔あった家は稀である。(中略)住む人も同じで、家の場所も変らず、人も大勢いるが、昔見かけた人は、二、三十人のうち、わずかに一人二人である」鴨長明「方丈記」
「おおよその人の本当の心というものは、女児のように未練で愚かなものである。男らしく確固として賢明なのは、本心の心ではない。それはうわべを繕い飾ったものである。本当の心の底を探ってみれば、どれほど賢い人もみな女児と変わらない。それを恥じて隠すか隠さないかの違いだけである」本居宣長「紫文要領」
「われわれが巡礼しようとするのは「美術」に対してであって、衆生救済の御仏に対してではないのである。たといわれわれがある仏像の前で、心底から頭を下げたい気落ちになったり、慈悲の光に打たれてしみじみと涙ぐんだりしたとしても、それは恐らく仏教の精神を活かした美術の力にまいったのであって、宗教的に仏に帰依したというものではなかろう。宗教的になり切るほどわれわれは感覚をのり超えてはいない」和辻哲郎「古寺巡礼」
「これを延べ書きにすると、「仏の説き給う般若波羅蜜というのは、すなわち般若波羅蜜ではない。それで般若波羅蜜と名付けるのである。」こういうことになる。これが般若系思想の根幹をなしている論理で、また禅の論理である。日本的霊性の論理である。ここでは般若波羅蜜という文字を使っているが、その代わりにほかのいろいろな文字を持って来てもよい。これを公式にすると、AはAだというのは、AはAでない、故にAはAである。これは肯定が否定で、否定が肯定だということになる」鈴木大拙「日本的霊性」
「「無の場所」の発見は、他者という問題を考える際に決定的に重要である。僕たちは、他者との関わりの中で生きている。その関わりが、社会という場所において成り立っていることは間違いないが、それに留まらない。他者は社会という場所を超えて「私」に迫るとともに、どうしてもその奥底までは捉えきれないという断絶に直面する。自己と他者とは、緩衝する媒介なしに直面し、それ故にかえって絶対に同化しきれない深淵におののくことになる。「無の場所」とは、こうのように無媒介でありながら、同時に無限の距離を持つ他者との関わりを見事に言い当ている。ここで西田は、他者問題をさらに一歩進める。自己はその根底に否定性を含み、その自己否定を通してはじめて他者と関わることができるというのである。それを「逆対応」という新しい言葉で表している。ここで考えられている他者は、通常の他の人というよりは、人を超えた絶対存在である神や仏であり、西田は、キリスト教も仏教にもすべてに通用する宗教の基本構造を明らかにしようとしている。」西田幾多郎「場所的論理と宗教的世界観」についての末木の言葉。
「近代日本人の意識や発想がハイカラな外装のかげにどんなに深く無常感や「もののあわれ」や固有信仰の幽冥観や儒教的論理やによって規定されているかは、すでに多くの文学者や歴史家によって指摘されてきた。むしろ過去は自覚的に対象化されて現在の中に「止揚」されないからこそ、それはいわば背後から現在のなかにすべりこむのである。思想が伝統として蓄積されないということと、伝統思想のズルズルべったりの無関連な潜入とは実は同じことの両面にすぎない」丸山眞男「日本の思想」
(司馬遼太郎『歴史を動かす力 司馬遼太郎対話選集3』(文春文庫)2002年から)
「日本は国会によってつぶれる。政党などというのは西洋では根がある存在だが、日本の政党はフィクションなんだ。フィクションが国家の運命を握っている。官僚はしっかりせねばならん」                         小村寿太郎の言葉「西郷と大久保」
「ぼくは新聞記者の出身ですからね。いまでも新聞教みたいなところがある。新聞だけは信用できる、というところを持っていますよ。なぜかといえば、明治以来、日本には野党はなかった、憲政がはじまってからもなかった。野党的なものはあったけど、野党はなかった。いつも与党一枚だったというのが、私の感じなのです。だから、新聞が野党を構成していた。作用、反作用のバランスを、いつも新聞がとって、新聞が視線を水平に保つ機能をはたしていたと思っていたから、あるいは新聞の機能は日本における野党の機能だと思っているから、新聞については非常に寛容というか、理解ある態度をとってきたわけです。」
司馬遼太郎の言葉「織田信長・勝海舟・田中角栄」
司馬遼太郎:神道という言葉が出来ていない頃から、日本人固有の宗教、というより、多分に美意識のような、それは宗教に代わるべきもの、そういうものがあるんですね。物忌みする、穢れをおそれる、清浄を好む、宗教というよりも、怖れを伴った美意識という方に近いものはあって。しかしそれは、思想というほどの容器に盛りあげたものではない。いわば容器そのもののような思想、日本的シャーマニズムがあって、これは今でも日本人の意識の底の重要な部分を占めていますが、思想ではない。(中略)乱世になって、前時代のモラルが消しとんでしまいますと、日本人がカッコよさ、いさぎよさ、見栄のよさ、そいうところで個人を支えたり、社会の関連を辛じて保ったりしている。
海音寺:見事な生き方という言葉が、日本にはありますね。これも美意識による考え方ですね。自らを芸術品として見て、自らの真美観に合致させるようにして生きようという考えからですね。
司馬遼太郎・海音寺潮五郎対談「日本人の意識の底」


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