【神の左手、無意識の右手/ポール・マッカートニーの作り方/2024. No.2】
【第一章:ビューティフル・ドリーマー】
「最初に会ったとき、彼らがいい曲が作れるようになるなんて想像もしていなかったよ」
ジョージ・マーティン/ザ・ビートルズのプロデューサー
実際、どうやってポール・マッカートニーは曲を作っているのか?
「音楽史上最大の成功をおさめた作曲家」(ギネスに登録されている)でもある彼が具体的にソングライティングについて語るインタビューや記事はとても少ない。歌詞の由来、どういう状況でそれを作ったのか(例えば、辛い状況に置かれていた時に書いたという心理的動機。ジョンの家で、インドで、という状況説明など)を語ることはあるが、彼なりの、そこにあるはずの技術論、方法論を本人がまとめて語っているインタビューを読んだことがない、そしてそれを聞くインタビュー集もほぼ存在しない 。
どうやってメロディを構築してコードをつけて楽曲として完成させているのか?
現在までおそらく数百曲以上リリースしているポールは何も考えずに曲を作り続けているのか。そんなことはない(と思う)。
では、なぜその方法論や技術論を語る機会が少ないのか。
実のところ「誰かに伝えられる定型化した方法論(または言語化された楽理)」をポールはもっていないからなのではないか、それを必要として来なかったからなのではないか、と思うのだ。
「自分の中にある音楽だから、それで出来てしまうことだから。誰かにそれを説明する必要はないんだ。バンドメンバー以外にはね」みたいなことではないか?と。
ビートルズ時代、ソロ以後もポールが作った楽曲は多くのアーティストにカヴァーされている。が、最初から他のアーティストのために曲を書き下ろす作業をポールはほとんどしていない。
曲だけではなく歌詞も彼は書くのに、だ。
(アップル所属のアーティストに曲を提供、ソロになって以後はリンゴ・スターのために曲を作ったりはしているが)。
依頼された楽曲を提供する意味での
プロフェッショナル作詞作曲家ではないポールの立場は
つまり、シンガーソングライター(以下SSW)のそれに近い。
”自分が歌いたいことを自分のために書く”音楽家。
が、そこでまた一つの?が思い浮かぶ。
例えば、キャロル・キング、ジョニ・ミッチェル、ランディ・ニューマン、
名のあるSSWとしてポールを並べて称することの違和感。
そこがポールの音楽家としての、興味深いところである。
とどのつまりポールは
「バンドの一員であることが前提」
その意識で曲を書いているのではないか。
60年代、ザ・ビートルズで始まったポールのキャリア、
ウイングス時代、80年代以後でも彼がアルバムを作るときは固定のメンバーで録音することが多い。逆にそうではないアルバム、プロデューサーによって「ポール、君自身が誰よりも優れたミュージシャンなのだから基本は自分でやって後は一流ミュージシャンによって作ろう」
と他意が介在するときにだけ(渋々ね、そこがポールの面白さ)限りなくSSW的な個人のアーティストとしてアルバムを作る。
そしてそんなアルバムは(『タッグ・オブ・ウォー』『『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード』『ラム』)
彼のファンにとっても、またファン以外の音楽ファンにも評価や人気が高い。が、それはあくまでもポールにとっては繰り返すが
「そのときにそうなっただけのイレギュラーな話」
という体であるのが面白いのである。
(まあ、予想するに「だって面白くないじゃん。自分だけでやっても」なんだろうな、と)
すでにソロアーティストなのに、彼にとっての楽曲は「誰かと一緒に
作り上げる音楽」なのだ、意識として。
その意識が生まれた理由は言わずもがな、
ビートルズ時代の体験。
そこがポール・マッカートニーの特異さであり、
唯一無二の存在の興味深さなのである。
ポールにとっての曲作り、それは
「自分の中だけで完結することよりも他者によってそれがより良くなる可能性がある作業」なのかもしれない。
例え、ファンや音楽批評的には
「一人でやった方が面白いのに、、」
と期待されていても。
その乖離がまたポールへの評価の複雑さ、
自覚なき才能ある音楽家としての面白さなのである。
p.s
バンドマンとSSWの話について。
下記のレコードコレクターズ誌、「フレイミングパイ」特集で
長めの論考を書いております。
*バンドマンとシンガー・ソングライターのはざまで(宮崎貴士)
話が大幅にずれてしまいました。ポール流楽曲制作術への探求は次回へ!
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