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1980年のポール・マッカートニー

GWですので閑話休題で。

1980年(昭和55年、と書くと時代を感じます)
ウイングスでの来日、そして空港税関でのポール逮捕と留置所騒動。
その時にコンサート会場(武道館など)で販売予定だったパンフレット。
実家に帰った折に久々に眺めておりました。
コンサート中止後に一般発売されたんですよね、これ。
当時、中学生だった自分は友人に頼んで買ってきてもらいました。
GW、実家に帰った折に久々に読み返しての感想を。

このパンフレット、クレジットがなかったので誰が編集制作したのか不明なんですがクオリティが高いんですよ。
まあ、コンサートのパンフレットは目的がスーベニア、思い出になればいいだけなので批評性はさほど重要視されることもないはずなんですが
寄稿している三氏、中村とうよう氏、福田一郎氏、湯川れい子氏の
テキストがどれもクオリティが高いんですよ。
70年代初頭にはジョン・レノンのアルバムを評価(「ジョンの魂」ですね)しつつポールのアルバムは比較的に評価できていなかったことを10年以後の今(80年に)考えを変えざるを得ないことを書く中村氏。
ちなみに80年1月公演のパンフレットなのでジョンはまだ存命ですがハウスハズバンドとしてほぼ引退状態。

福田氏は72年頃に偶然フランスで初期ウイングス公演を観た時の記憶から
”公演前日でもそこそこのいい席が購入できた、その演奏は厳しいクオリティであった〜そこから76年のアメリカツアーでの完成度に敬服した云々”と、70年代に実際の当時のポール(ウイングス)のライブを見続けていたからこその内容。

湯川氏はザ・ビートルズ66年来日時に彼らと会った時の印象から今に至るポールのアーティストとしての履歴の紹介。

三氏の文章を今、つまりパンフレット発売時から(ああ、昭和も終わり平成も終わり令和だ)43年後の現在読んでいても三氏の評価、文章にもあまり違和感を感じなかったんですよ。
その違和感のなさに驚きつつ、ちょっと考えてみたんですが、これが当時のポール(ウイングス)の活動がちょっと一段落していた時期だからこその
冷静な視点であること(76年時でしたもうちょっと熱い内容になっていたのでは?)と、批評的視線は時代を超えるという視線。

「ポール・マッカートニー」
ビートルズ解散から10年経て、当時リアルタイムで音盤リリースをし続けていて(ヒットして)ワールドツアーをしていた唯一の元ビートルズだったんですね、70年代後半〜80年のこの頃まで。

そしてロックを語る言葉の変化。
商業的な誌面であっても、60年代からのファンと同一視する記事視線から”ロックを語る言葉”自体も変化していた時期であったんだろうな、と実感できるんですよね、あえて書くとその対象が「ポールなのに」。
これがジョンを語る言葉であらばシリアスに(シリアスであらばいいわけでもありませんし、ファン目線と同一視する記事が悪いわけでもありません。”批評性”は語る対象から独立した価値があります。
ゆえに語る対象は批評性によって、言葉によって時代を超えて伝えられるのです。同時代的な言葉(だけ)で語られるならば、
のちの時代に伝わるのは懐かしさ、もしくは
「こんな時代だったんだな」という”感想”しか伝わらないんですね。
重ねて書きますがそれが悪いことではありませんが。)

あ!!話がずれた。
とにかく、この幻となったウイングス唯一の来日ライブ記念パンフレット、
意外にも今、読んでこそ伝わる内容でありました。
そして、掲載されているアーティスト写真も実にいいんですよ。なんというか、当時のウイングス、ポール自身の肩の抜けた感じが写されていて。

是非、お持ちでない方はGWに探してみたりするのもいいかもですね。

最後に、2024年に1980年のポールの活動を見ながら頭の中で「そうか、すでにポスト・ビートルズ時代をアーティストとして駆け抜け、こうして批評的な言説でも肯定されている頃なんだな。が、ここから先に優れたアルバムや楽曲をここまで以上に量産して世に送り出し続けているのを、未来?の自分は知っていて、、」

この80年は(今思えば)まだまだポストビートルズ初期の段階、、。
このパンフを読みながら「さすがポールは凄いな〜」
とかニキビヅラでモヤモヤ考えていた中学生の自分は甘かった、、、
この先から始まるポストウイングス時代、
一体何枚アルバムを、楽曲をリリースしたのか(数えるのも面倒臭い)、、
、とか気づかされ。

おそるべしポール・マッカートニー、、。



(おそらく万単位での印刷と販売があったと想像するブツなので今でも古書扱いで意外な安値で購入可能と思います。)

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