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「まるで世界」ケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)について〜アルバム浪漫主義の結実作品。

KERA氏のニューアルバム「まるで世界」、CD と LP は同時発売、CD は見開き紙ジャケット仕様、アナログ盤は 2 枚組見開きジャケット仕様のカラー・ヴァイナル重量盤でボーナストラックとして CD 未収録の 5 曲(全 19 曲)収録されている。

複数の楽曲をそれぞれのパッケージにまとめた音楽アルバム。      曲単位で楽曲が受容される時代であっても『アルバム』として音楽を表現する価値はあると確信しているが、その理由について「ただのこだわり、ただの過去の習慣ではないか?」と問われたら、それだけは違うと書いておきたい。曲単位でも魅力ある音楽を作ることは前提ながら、それだけではない表現領域が「アルバム」と言うフォーマットにはあると思っているからだ。 

それを表現領域として自覚している人にとっては今でも十分に魅力があるのがアルバムなのである。

アルバムのタイトルづけ(曲名から引用する時もそうではない時も)、曲順によって作られる全体の流れ、タイトルと出来上がった曲全体から伝えたいイメージして作り上げるジャケット、そして全てを表象する優れたデザイン。すべてを統合して一つの表現として世に送り出すことが出来るフォーマット、メディアとして、それが実現できる人にとっては何よりも代えがたいのが「アルバム」であると思っている。逆に言えばその全体的な表現方法を必要としていない音楽家にとっては、アルバムはすでに必要がないのかもしれない。単曲単位の音楽を否定したいわけではない。それを並べ意匠を施し、タイトルをつけることで「より大きな音楽(コンセプト)」を伝えられる確信はいまだに生きていると言いたいだけである。

今回、発売されたKERA氏のニューアルバム「まるで世界」の音を聴き、ジャケットを見て、またアルバムに寄せた氏のプレスリリースや発言を読む。すべてが(今のこの現実に向けて表現された『アルバム』)であることが痛烈に伝わるのである。そこには優れたデザインに対する信頼感、楽曲を編曲演奏した音楽家に対する信頼感。そしてトータルで出来上がったアルバムを「表現」としても優れた音楽集としても送り出せるという確信。 

プレスリリースに書かれたKERA氏の解説によると「好きな曲だけ」を集めていたら期せずしてCDフォーマット12中3曲がNHK「みんなのうた」で発表された曲であった。タイトル曲の「まるで世界」も、である。「みんなのうた」はその名の通り「みんな」のうたである。それは目的として分かりやすさでもありながら、担当する(一流の)作者や歌手によって、分かりやすさの先にある何かを伝えていることがある。別の目的があるプロモーションを背景としていない(うた)であるからこそ、伝えられる何かがそこに備わっていることがある。作詞/別役実、作曲/池辺晋一郎によるタイトルソング「まるで世界」、NHK「みんなのうた」で1984年に発表された楽曲。繰り返すが「まるで世界」このタイトル。そして「朝 目が覚めたら世界が変わっていた 空は青くて まるで空みたいだったし 雲は白くて まるで雲みたいだったし」で始まる歌詞。2021年にこの曲を歌うこと、それは優れた楽曲の普遍性を示すと同時に、リ・デザインする意思によって新しい表現になりうるという可能性そのものである。「好きな曲をカヴァーする」だけではない、「編曲してみた」だけでもない。『アルバム』として優れた意匠とともに楽曲を送り出しているから、それは表現として成立しているのである。単曲で「まるで世界」をリリースした状況を想像してみれば、それは伝わることと思う。優れたジャケット、他曲との並び、アレンジ、楽曲に適した歌唱法の的確さ。全てをイメージして作品を創っているKERA氏が表現したいことがすべて詰まっている。だから、それは『アルバム』であるのだ。是非、現物を手にとって欲しい。その存在感こそが作品である。          ただの記号でも情報でもないのだ。


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