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役割付与と生産性の向上


日本は「役割」にとても優しい国だと思う。

小・中学校ではなにかしらの委員会に入らなければならないルールが存在し、僕たちは図書係、掃除係というような「係」の選択を強制され、結果的に生徒みんなが「何かしらの役割」を担っていた記憶がある。

「掃除係の活動ダルいわ〜」と言いながら。

ちなみにこれは会社でも同様のことが言える。
例えば「書類チェック係」という役割が存在し、その役割があるおかげで大勢の雇用が守られている。

社会から付与された「過剰な役割」によって現状の日本におけるセーフティネットは成り立っているのだ。

会社で何かしらイベントを行う際は、本来3人でも十分回るようなタスク量であるにも関わらず、10人くらいのメンバーをアサインし、細かく役割分担する。

しかし結果的に民主的な意見収集や、過度な平等性を追求してしまうがために、「みんなが役割を持っていること」が目的化され、仕事の本質から徐々にズレが生じてくる。

結果的に顧客のニーズを一切考慮しない「自己満」によるアウトプットが量産される結果となる。

このようにほとんどの会社では、「生産性」を引き換えに社員全員平等に、自分は役割を持っているのだという「自己肯定感」を付与している。

以上を踏まえると日本の雇用制度は「役割に対する居場所の創出」という観点ではとても偉大なものであると言えるが、結果的に「いらないおじさん」を量産する結果となり、組織の生産性は低下してしまうという事態が至るところで発生してしまっている。

本来であれば役割を付与することによって生まれる「社会的な居場所」の存在が、人々の安心感につながり、結果的に生産性向上に寄与するものであるはずだ。

しかしながら今の日本の会社においては「居場所の創出」と「生産性の向上」がトレードオフ構造になってしまっていると感じることが多い。

本来

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現状

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この原因はおそらく、当たり前のように役割が供給され続けてきた「システム」にあるのだろうと思う。

その結果、ほとんどの人が役割は「勝手に振られるもの」だと認識し、その役割に対する責任感が伴わず「とりあえずこなせばいいもの」と錯覚する。

むしろ役割を担うことそのものを億劫に感じる人の割合の方が多いのではないのだろうか。

本来役割とは与えられるものではなく、「自ら掴み取るもの」なのだ。

現状の役割認識

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本来機能すべき役割認識

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役割には「責任」が生じる。

相手が求めている期待値を正しく把握して、それに対して全力で応えることで、役割を全うする。

その結果、達成感、金銭、自己肯定という名の「報酬」を受け取ることができるのだ。

しかし、役割を担うには一定の「スキル」が必要となる。

現在の役割における大きな矛盾は、その役に見合うだけのスキルに向き合わなくとも役割が付与されてしまう構造にあるのだろう。

だからこそ「頑張らなくても生きていける」という錯覚がどうしても生まれてしまうのだ。


ここでいうスキルの1つとして「自己理解」があげられる。

これは自分を知るというが目的もあるが、それ以上に「どんな役割が向いているか」を知ることでもあると思う。

自分を知り、社会を知り、その上で自分がどんな役割を演じれば幸せなのかを認知すること、これが本質的な「自己理解」であると考えている。

自分が演じたい役割を適切に認知することができれば、社会から求められる役割の余白に対して、上手く自分のピースをはめ込むことができる。

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そしてさらにそのピースとしての役割が一定以上の価値を発揮すれば、社会というフレームそのものを変化させてしまうことすら可能になるのだ。

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※最近面白いと思った革新的役割の例
コミュニティデザイナー、ディスカッションパートナー、本音屋、コミュニケーションデザイナー、何もしない人、グラスプコーチ、出張バーテンダー、セールスデザイナー、ジブンジク、チームデザイナー、雑談のプロ


社会における「役割」を自ら追求し、失敗しても何度も挑戦し、ようやく掴み取った瞬間こそが、本当の意味で「仕事は楽しい」と感じる瞬間なのだと思う。

そして「仕事は楽しい」という感情がさらなるポジティブエネルギーに変換され、結果的に社会全体の生産性の向上に寄与するものだと信じている。


「役割」は思っている以上に素晴らしいものだ。

仕事が楽しくないと感じたり、組織における自分の存在価値が見出せないと感じた時は、それは何かしらの組織のために演じている役割が、自らが求めている役割との乖離が大きいだけで、意外と別の環境に身を移してみたら見つかるものだったりするものだと思う。

そんな時は是非一度社会や組織から与えられる役割に依存することなく、自ら新たな役割を創出することに挑戦してみて欲しい。

自らつかみ取った役割で価値提供した先にある「報酬」はそれがたった月5000円程度だったとしても、本当に素晴らしい宝ものになるのだ。

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