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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (113) 信濃追分から叡山恵心堂へ
中先生は青山の姉のところで療養を続け、ようやく近所の床屋に行ける程度になり、真如院にもどりました。ところが急角度で病気がぶりかえしました。日々の生活がもとにもどつたためと思われましたが、中先生は捨て鉢な気分になつていて病院にもいかず、座布団などをならべた上に丹前にくるまってじっと寝ていました。食欲もなく、寺男に頼んで季節ものの樽柿を買ってもらって二つ、三つずつ食べました。食事と下剤の代りです。身体が芯まで冷えてちょっと身動きしても目がくらみそうに動悸がしました。こんなふうにして冬をこしましたが、春に向い気候がよくなっていくのにつれて薄紙をはぐようによくなって、蒼い顔をして台所に出て少しずつ食事をとるようなりました。
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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