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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (121)沼のほとりに向う

 中先生が手賀沼のほとりで暮らすようになったのはいつからなのか、正確な日にちは不明ですが、大正9年になってからのことのように思われます。次に引くのはこの年の2月17日付の小宮豊隆に宛てた手紙(葉書)です。

中先生の手紙(葉書)
小宮豊隆へ
我孫子から東京市赤坂へ
《風呂釜はもらひ、巴風呂といふのを買つた。ここは非常にいい処だ。この家は暖いがこの土地は風が強くて寒くていけないから春休に弁当持参で遊びに来玉へ。提婆達多を一生懸命とつついてゐるが中々はかどらない。とかく景色ばかり眺めてゐる。湖畔、八畳二間、天才の止住に宜し。》

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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