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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (66) 数藤先生

 年が明けて明治40年になりました。山田さんは新年早々、1月1日付で中先生に宛てて手紙(第129書簡)を書きました。「宿屋といふものは」年末のクリスマスのころ、末子さんからクリスマスカードが送られてくるのを心待ちにしていたようですが、「姉君からクリスマスカードが来るかも知れないと思つて居たが来なかつた」などと書かれています。「一昨年の冬は大阪に帰つたら僕より先にクリスマスカードが来て居たつけ」とも。一昨年の冬というのは明治37年の暮れのことで、山田さんは一高の二年生。第一学期が終って年末年始を大阪ですごすために帰阪したところ、末子さんからのクリスマスカードが先回りして待っていたのでした。去年、すなわち明治39年は須磨の病院で新年を迎え、看護婦さんが屠蘇をもってまわってきました。今年は葉山の宿で屠蘇を飲みました。

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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