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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (107) 生きようとする覚悟

 明治45年4月17日の時点で東京にいた山田さんはそののち大阪にもどったようで、7月13日付の久保勉宛ての手紙(第175書簡)には、「私は此頃天王寺村に独りで居ります。夕飯だけを毎日父母のところへ帰ることにして割合に仕合せよくすんで居ます」と近況が伝えられています。次の第176書簡は10月3日付で、宛先は岩波茂雄です。9月13日の夜、明治天皇の大喪の礼が行われ、その夜、乃木希典の殉死という出来事がありました。山田さんは衝撃を受け、

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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。

●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…

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