丁寧なサンドイッチ屋さん
昔勤めていた会社のすぐ近くに、小さなサンドイッチ屋さんがあった。
ビジネス街のど真ん中に不自然に建っていた、ビルとビルの間に挟まれた二階建ての建物。自動ではない開きっ放しのガラスのドアの向こうにはチルドショーケースが一つだけ置いてあって、そこにずらっと商品が並んでいた。駐車場のない、通路の端に添って建物の壁があるような、間口3メートルほどの小さなお店だった。
「あの店、入りにくくない?」
「なんか怪しくて入ったことがない」
「暗いし入るのに勇気がいるよね」
「コンビニの弁当の方が安いですよ」
同僚や上司の評価は宜しくなかったが、私はこの店が好きで…よく利用していた。
「はい、いらっしゃい」
古びたショーケースの横には、いつも店主と思われるおばあちゃんが丸い椅子に座っていた。まるで置物のように、その場から動かず…猛烈なセールスをするでもなく、世間話をするでもなく、ただ穏やかに、来店した人が買うものを選ぶのをみていた。
「ごめんねえ、今日はほとんど売り切れちゃって」
たまに、ショーケースの中に物がない時には欠品を詫びる言葉を出すことがあった。
「これはねえ、キュウリとハムとマヨネーズ、からしが挟んであるよ」
たまに、お客さんから商品について聞かれて、素朴な返事をすることもあった。
「はい、ありがとう、二つで580円ですよ」
いつも、おばあちゃんは五つ玉のそろばんをはじきながらお会計をしていた。レジのようなものもレシートもなかった。直接言われたお金を渡して、おつりをもらって、袋に入れてもらって、店を出る。
ほのぼのとした雰囲気がお気に入りだった。
並んでいたサンドイッチは、手作り感たっぷりの一品だった。
メニューは、卵サラダ、ハムサンド、ポテトサラダサンド、ツナサンド…たまに、ミカンと生クリームのサンドイッチもあった。三角形のサンドイッチが三つ、ラップでぴっちりと…それでいてふんわりと包まれていて、なんというか、優しさの溢れ出す見た目をしていた。
どれもコンビニのサンドイッチとは違い、パンの端までたっぷり具が入っていた。耳がきちんと落としてあり、具材がバランスよく挟まれていて…なんというか、とても丁寧なサンドイッチだった。
卵サラダのゆで卵はキレイにさいの目にカットされていたし、ハムサンドのキュウリは実にキレイに整列していて、切り口に薄緑とビリジアンがきれいな模様を描いていた。ポテトサラダのじゃがいもは丁寧に裏ごしされていて、ニンジンはキレイなイチョウ切りだった。レタスはパンの大きさにきっちり切り揃えられていた。ツナサンドの中に入っていた沢庵の細切りは大きさがそろっていたし、挟まれているミカンはすべて同じ方向を向いていた。
薄切りの食パンの内側には端まで丁寧にバターが塗られていたし、薄切りキュウリの表面にはしっかり塩が振ってあって…きちんとしたレシピをきっちりと守って調理したような、几帳面で丁寧に仕上げられたサンドイッチだった。
私の育った家のサンドイッチは、パンの耳がついているのが当たり前だったし、ゆで卵を握りつぶしてマヨネーズで和えたものを真ん中にドカンと入れておしまいだった。三角に切ることもしなくて、黄色い卵がなんとなく粘土っぽくて…あまりおいしくなかった。いつも賞味期限の切れた六枚切りの食パンで作るので、ぼそぼそしていて硬くて…あまり好きではなかった。
サンドイッチそのものにあまり好印象がなかったのだが…おばあちゃんのお店に通うようになって、私の中にある常識が変わった。
やわらかいパンを使って作れば、美味しくなる。
丁寧に具材を挟めば、美味しくなる。
几帳面な調理をすれば、美味しくなる。
サンドイッチは、適当に作るものではない。
サンドイッチは、丁寧に作るべきものだ。
サンドイッチは、美味しいものだ。
おばあちゃんの店に感化されて、美味しいサンドイッチを作るようになった。
見様見真似で、サンドイッチのレシピを試行錯誤した。
丁寧な調理をするようになって、自分好みのサンドイッチをたくさん食べた。
たまに盛大な失敗をしながらも、美味しいねと言ってもらえるようなサンドイッチを作れるようになった。
パンはサンドイッチ用の10枚切り。
材料は大きさを揃えて優しく丁寧に繊細に扱うべし。
やわらかく練ったバターを、薄く塗ること。
具は端っこまでキッチリ入れること。
キュウリはピーラーで薄くしたものを几帳面に二重に並べること。
ゆで卵は先に黄身とマヨネーズと塩コショウを混ぜたものを作り、さいの目にカットした白身を混ぜ込むこと。
野菜を挟む時は塩コショウをアクセントに入れるとよい。
私が、サンドイッチ作りにこだわるようになったのは…良い影響を与えてくれたあのお店あっての事だ。
……あのお店に通っていたのは、もう四半世紀も昔の事だというのに…未だに旨いサンドイッチづくりのこだわりとして…私の中にしっかりと残っている。
長い年月が過ぎていく中で土地開発が進み、都会の駅前はずいぶん変わってしまった。
当時勤めていた会社の場所がわからなくなってしまったのが残念でならない。住所は覚えておらず、あのお店が今でも残っているのか確認する事も難しいのだが…、心のどこかで、あのやさしくて丁寧なサンドイッチが今でも販売していることを願ってしまう。
あの時、店番をしていたのはおばあちゃんだったから…おそらく、調理人はショーケースの向こう側にいたはずなのだ。旦那さんか、兄弟か、息子さんか、娘さんか、お嫁さんか、親戚か、もしかしたら孫だったかもしれない。ひょっとしたら家族ではなかったかもしれない。
ついつい、サンドイッチを作るたびに、あの頃の事を思い出してしまう。
昔通っていた都会の駅周辺に、サンドイッチ屋がないか…ついつい検索してしまうのだけれど。
……喫茶店、カフェ、ピザ店、焼き立てパンのお店に、総菜屋。サンドイッチを作っていた人がやりそうなお店は……どれどれ……。
ああ、この多国籍料理屋おいしそうだな。
このケーキ屋さんのジャンボシュークリームは食べてみたい……。
うわあ、この居酒屋めちゃめちゃカクテルの種類が豊富だ、娘が喜びそうだよし今度の休みに行こう、ちょっと待て綿あめ専門店ってなんだ?!おお、こんな所に輸入雑貨店が!へえ、大ぶり餃子専門店かあ、大きいのに小籠包ねえ、ふーん!!
年のせいなのか、もともとの気の散りやすい性格が災いしているのかは不明だけれども。
サンドイッチのことなどすっからかんに忘れて…グルメ情報収集に勤しむ私がいるという、お話です……。
↓【小説家になろう】で毎日短編小説作品(新作)を投稿しています↓ https://mypage.syosetu.com/874484/ ↓【note】で毎日自作品の紹介を投稿しています↓ https://note.com/takasaba/