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看板

 ……毎日通る道に、おかしな看板がある。

 片側一車線のやや混みあう道路の、自転車専用車線横に並ぶ歩道に面した…美容院とキャバクラビルの間にある、少々錆の目立つ、看板。

 建物の前にはやや広めの駐車場があり、敷地の境目として同じ大きさの看板が二枚、背中合わせで立てられている。駐車場に面した壁になっているのでどちらもよく目立ち、駅に向かう人も駅に到着して家に帰る人も必ず一度は見るであろう看板だ。

 目につく位置に大きく店名が書かれており、宣伝効果は非常に高いと思われる。キャバクラ側には煌びやかなお姉ちゃんたちの顔とゴージャスな店名ロゴ、英語で書かれた高いんだか安いんだかさっぱりわからない料金表などがカラフルに表示されていて、美容院側にはシンプルなロゴとこれまたよくわからないメニュー一覧が表示されている。

 広告効果を遺憾なく発揮している看板のとなりに、誰にも見てもらえないであろう看板が並んでいるのに気が付いたのは……もう、何年も前の事だ。建物と建物の間にあるため看板の板面のほとんどが隠れており、通路側からは枠とわずかな色を確認できるだけで…何が書かれているのか全く分からない。

 看板の枠が二階まで届いているから、小さいものではない。奥行きがどれほどあるのか、通路側からは推し量ることができないが…おそらく敷地ぎりぎりまでの大きさは有ると思われる。

 通常、看板というものは広告を目的として設置されているのが基本だ。目立つ看板であれば、その存在の意味は理解できる。しかし、誰の目にもつかない、店と店の間部分に看板があるのはどうにも理解しがたい。おおよそ看板の役目をはたしていない謎の看板に、ついつい好奇心を擽られてしまうというか、探究心が疼いてしまうというか……。

 普通であれば、誰も気にとめないような、気が付かないような地味な看板ではあるのだが…俺はどうにも気になって仕方がない。

 あの誰も見ない、見る事のできない看板には、一体何が書かれているのだろうか?もしやものすごいネタが隠されているのではあるまいか。ひょっとしたら歴史を思わせるお宝がそこにあるのではあるまいか。

 昔の店舗の看板の可能性が高いと思われるが、この道を毎日歩くようになってもうずいぶん長い俺が知る限り、気になりだす前…相当昔からこの場所は美容院とキャバクラビルだった。

 もしかしたら大昔はただの空き地だったかもしれない。だとしたら見晴らしは今よりさらにかなり良いはずで、一流企業が広告を出していた可能性もある。…いやいや、しかし昔はこの辺りはまだ田舎で、いくら駅近くとはいえ広告を出そうと思う企業はいなかったのではあるまいか。

 ひょっとしたらこの辺りの地図が描かれていたのかもしれない。昔はあちこちに近隣の地図が家主の名前入りで掲示されていたものだ……。

 一体昔は何屋があったのだろう?未知の歴史をのぞいてみたい気持ちも相まって、胸の高まりを感じずにはいられない。

 朝七時、この場所を通りかかるたびに、ああでもないこうでもないと、謎に迫る持論を展開した。夕方六時半、この場所を通るたびに、あんな事やこんな事が書かれているに違いないと、謎を解いたつもりになってニタリと笑った。

 ある日ふと看板の存在に気づいてしまって以来、どうにもこうにも意識が囚われてしまったのだ。もう何年も同じような推理を繰り返しながら、会社に向かい、家に向かい、駅に向かい、病院に向かい……、バスの中から、タクシーの中から、看板を見つめているのだ。

 おそらく、ビルないし店舗を建てた時、看板を残したまま敷地の境目として利用したという事なのだろうとは思う。看板の骨組みを壊すのは、意外とコストがかかるものだ。見えない場所だし、処分する費用が掛かるくらいならそのまま放置しておこうと考えたのではないかと推測する。

 ……もしかしたら、もう誰も見ないのだからとおかしな落書きをしてあったするのかもしれない。いわゆる黒歴史的な、相合傘みたいなのが刻まれていたりする可能性もある。ひょっとしたら宝の地図なんかが描かれている可能性だって否定する事はできない。

 ついつい想像力が膨らんで……、気もそぞろになってしまうことが間々ある。いい歳をしてナニをしているんだろうなと思うことも、珍しくない。

 美容院とキャバクラビルの間には人ひとりがギリギリ通れるくらいの通路らしきものがあるので、無理やりそこに潜入して見上げれば、看板に何が書いてあるのかは確認ができそうだ。

 しかし…そうまでして見るものかというと、そこまでではない気がする。わざわざ店に看板を見せてくださいと頼むのもどうかと思うし、無断で忍び込むなど言語道断だ。

 せいぜい、色々と妄想をして楽しむぐらいが関の山と言えよう。

 ……日常をほんの少し楽しくする、謎の看板。

 いつか、真実を知る日が来るのを楽しみにしていた俺は、ふらりと看板の場所に向かう事にした。

 人通りの多い道だというのに、相変わらず……、誰一人として看板の不自然さに気が付かず、駅へ、自宅へと急いでいる。

 ……たまには、ゆっくりと、身近にある謎に目を向けてみたらいいのに。

 そんな事を考えながら、看板の近くまで、やってきた。

 すると…人影が、一人、二人……、けっこう、賑わっているぞ。

 ……なんだ、俺以外にも、謎の看板の正体が気になっていた人がいるんだな。

「……やあやあ、あなたも…気になってましたか。」

 声をかけられたので、近づいてみる。

 杖をついた男性、中年女性、俺と同世代の痩せた男性がいる。

 ……向こうの方から、腰の曲がったおばあちゃんがやってきた。

「……僕だけかと思ってましたけど、皆さんけっこう…気になるもんなんですねえ」

「……気になりますよね。うん……」

「……ここ…昔から気になってて」

 わりと人気のスポットらしい。

 ……あっという間に、人だかりができてゆく。

「……ああ、こんな事が書いてあったのか」

「……ふふ、いい土産話に、なったわ」

「……長年の謎が解けて、良かった」

 ……みんな、満足しているようだ。

 看板を見上げた端から、ふわり、ふわりと…空に消えてゆく。

 ……そうか、未練がなくなったから、満足したんだな。

 ……俺も、ちょっと失礼させてもらおうかな。

 ……キャバクラの待合室に侵入し、壁をすり抜け。

 ずっと気になっていた、看板を……望む。

 通路側から1メートル程は板面があるが、奥の方は派手に朽ちていた。隣接するキャバクラビルの壁はオレンジ色に染まっている。

 たぶん風通しが悪くて雨の湿気が抜けずに……錆びてしまったのだろう。

 ……誰だ、このおっさんは。

 かろうじて判別できるのは、見知らぬ中年男性のすすけた似顔絵と……読めなくなったマジックペンの跡。フリーハンドで書かれた、このあたりの地図らしきもの。

 ……ああ、結局俺は、見るという目的は果たしたが、期待していた謎解きはできなかった。崩れ落ちた3分の2には、一体何が書かれていたんだ。胸に、モヤモヤが残る。

 ……こんな気持ちでは、とても……成仏でき

「久しぶりに見れたよ、これで心置きなく…おじいさん……」

 ……もしかしたら、この看板の関係者だろうか。

 ……実に満足そうに、幸せそうに、朽ちた看板を見上げている。

 おだやかに、慈しむように、優しく微笑む腰の曲がったお婆さんが…キラキラと輝いて……みるみるうちに若返っていく。

 きっと、良い人生だったんだろうな……。

 ……是非とも、ハートフルな恋物語を、聞かせてもらいたいものだ。

 ……是非とも、今度は。

 俺は、スゥッ…と空に溶けていく、お嬢さんの後を……追った。

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