時間作るのが一番大事よ

結局、時間がまとまってあるのが一番幸福度高い気がするんよね。結局のところ。色々要素があると思うけども、なんかやりたいことがある+まとまった時間が取れてるっていうのが最強だよ。どちらかだけじゃアカンくて、どっちもないとダメだけども。この身分が優雅すぎてやめられんけど。

全然関係ないけど一旦PhD取りたい気持ちがやっぱ出てきた。なぜかっていうと、なんか取りたいから。そもそも研究活動っていう点で言えば、学部生の時点でかなり恵まれた体験を出来とると思う。早めに参加してみたのもあるし、研究機関でバイトできてるのもある。なんとなく実像というか、あー研究ってこういうことやるのね、みたいな空気感は感じられつつあるのかな、と思う。

そういう意味で心構え的なところはある程度できてるのかなっていうところと、能力的な面でも一旦英語がそれなりに使えるようになってきているのかな(もっと練習は必要であるが・・・)、というところで、それなりに準備は出来てきているんじゃないかなと。ただ、とは言え一番重要なのがファイナンス、お金の問題であって、これをどこから引っ張ってくるのか、というとこが一番問題になる。そういう意味で、メリカをはじめ、PhD学生にも生活できる最低限の給与を出してくれるところしかいける場所はないわけだが、そういうわけだが。

ていうのはまあどうでもイイとして、最近ピアノが楽しい。コードがわかるようになってきて、YouTubeに上げられてるようなピアノの動画を今までは、なんだこいつら神様かよ、とか思ってたんだけど、ああこれはこのコードをベタに引く代わりにアルペジオったり、適当にリズムずらしているだけやんとかそういうのがわかってきて、嬉しい。ただ、右手でメロディ弾くときに一本指とかオクターブじゃない感じで複数指使って深みを出している技術だけはまだわからん。得体が知れない。もう少し鍛錬を積んだら見えてくるかもしれない。コード理論作ったやつすげえな、賢い。

他には、語学にハマっとる。ていうか、KPOP聴きはじめてみたんだが、クオリティ高くて笑った。元々中国語身につけたいぜ〜とか言ってて、それやってたんだけど、KPOPのクオリティの高さに驚いてハングルもやりたなってきた。もちろん、曲が良ければ意味わからんくても十分楽しいんだけど、曲聞いて意味がわからんていうのがちょっとムカつくんだよな。英語に関して言えば、曲聞いてもそれなりに意味がわかるっていうところまで達したので、そことの落差でさらにむかついてるっていうのもあると思う。というわけで、複数言語を同時に身につけられるのかチャレンジやってみるわ。無理なんだけど。ただ、臨界点みたいなのが複数あるんだよね、言語学習において。これはもう経験則的にわかってるんだけど、その臨界点を一旦越えると、ゲームで進行状況をセーブするみたいに、それまで学んだことを全然忘れなくなるみたいな地点があるわけ。だから、無理やりにでもこの臨界点に到達するまで継続してやれば、別に何言語だろうが同時にできるのよ。

ただ逆に、セーブ地点に到達する前にやめてしまうともう意味ないのね。学習内容をすっと全部忘れちゃうから、次やり直すときもほぼゼロからになる(もちろん、少しは残ってるけど、臨界点超えるとそれがほぼ残ってるていう状態になる)。そいう意味で、時間のあるうちに出来るだけ多くの言語で臨界点超えときたいな〜っていうのがあるんよ。こういうの、時間が複利で利いてくる奴だから(比喩表現)、早ければ早いほど美味しいわけ。信じてくれ。コロナ、いろんな意味で自分のライフスタイルに影響が大だったな。いろいろなことをはじめてしまった。

ていうこと書いてると、なんか学習狂みたいな印象を与えかねんが、研究活動ってこれとはまたちょっと、いや同じなんだけど、解釈を加えるっていう点で新しいんだよね。新規性とかそういうのもそうだけど、これまで答えがまだ見つかってない状況のものに、仮説立てて、実験とか理論とかで計測なり証明なりして、結果を解釈して一つの考え方を提示するっていうプロセスを経るんだけど、これ、本質的な貢献ができたら普通に楽しいだろうなと思う。色々論文とか読むことが増えたんだが、教科書とかにも載ってくるような本質的な貢献をしてる文献読むと、イイねえ〜^^っていう気持ちになるんだよな。イイことしとるやんみたいな。そういうの、やりたいよね。今やってることはどっちかていうと、やってるからやってるみたいなところがあって、なかなか。あと、結局研究活動も人のやることなんで、急にとっぴなことしてもあかんのよね。これまでの研究の流れを汲んで、リスペクトして、そこから生やしていくみたいなことしないと。そういう視点も、やってみなキャ得られんかったのではないかなと思う。

勉強と研究は違う!^^とかいってガヤガヤしているのをよく見かけるけど、あれ、自分で勝手に解釈を加えるのが好きであれば、なんであろうと問題なさそうな気がするよな。結局解釈の問題で、こういう現象にどう説明つけれそうか、とか、実際試してみて結果見てみて、こう解釈できそうとか、そういうことしてればイイんで、いわゆる全てを飲み込んで人の言う通りにするっていう活動はちょっとベクトルが違いそうではあるけど、そうでなければ割とどの方向向いてても良さそう感あるよな。イイ解釈をするにはちゃんとした知識というか、根拠を持ってないといけなくて、そういう意味で知識を身につけましょう、とかそういう話が出てきたりはするよね。まあどうでもイイか。


結論として、左手で文字かくの、ムズイで。

あなたを記憶します