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noteが書けなくなっても、わたしの世界は変わらなかった

noteを書いていない。

一時は1日2記事ペースで書いていたけど、ここ最近はまったくだ。
下書きの編集はおろか、noteのページを開くことさえしなかった。

「そうは言ってもまぁ書いてるだろ~~」と思って今日noteを久々に開いたら、前の更新(10月2日)からもうすぐひと月が経とうとしていた。

書けない理由がなかった

noteや記事を書けなくなることは、これまでもあった。でもそういう時は、決まって原因があった。

不規則な生活で身体が疲れている
仕事がたまってて精神的に余裕がない
そもそも書く時間が取れていない

けれど今回は、その「書けない理由」がまったくなかった。

生活はいたって健康的で、むしろ前よりも早寝早起きになったくらいだ。
仕事も良いバランスだと思うし、帰宅後にまったり自分ことをする時間だってある。

それなのに、書けない。

とにかくnoteを開いてみたり、スキマ時間ができる度にスマホのメモ帳アプリを立ち上げたり、自分のツイートを振り返ってみたり。
いろいろ試してみたけれど、結局noteを書ききることはできなかった。

書けなくなっても、わたしの日常は変わらなかった

「書けないなぁ」と気付いたのは、たぶん2週間前くらい。

noteを更新しないまま10日ほど経って、危機感のような、焦燥感のような気持ちを抱き始めた。
わたしはきっと、「書けなくなる」ことを恐れていたのだと思う。

けれど結果から言ってしまえば、わたしの日常は何も変わらなった
noteを書くために割いていた時間が、アニメや映画を観る時間にかわったぐらいだ。あとは、スマホのメモ帳アプリの最上段に表示されるのが「noteネタ」から「買うものリスト」になった。

わたしがnoteを書いても書かなくても、何も問題はなかったのだ。
noteを介して繋がった人とは、TwitterやSNSを介して繋がれた。これまでnoteに記録していた日々の気づきや感情の揺らめきは、コンビニで買ったノートに書くだけでも成立した。

わたしの日常に欠かせないと思っていた「書く」「書いたものを表現する」というおこないを欠いても、わたしの日常は保たれたのだ。

それでも今、書いている

書けないことに気づいた。
書かなくていいことが分かった。

それでもわたしは今、こうしてnoteを書いている。うんうん唸りながら、書いては消してを繰り返している。書いては消しているけれど、徐々に文は繋がっていっている。

だって、書かずにはいられなかったから

Twitterで誰かのnoteが流れてくるたびに、どこかウズウズした。
シャーペンをノートの上に走らせるたび、「これをnoteで書いたらどんな反応されるんだろう?」と考えた。

noteを書けないのに、noteを書かねばと思った。
書きたいとかじゃなくて、書かねば。書かないといけない。書かずにはいられない。

だからわたしはこれからも、きっとウンウン唸りながら、書いては消してを繰り返しながら、それでもnoteで書くのだと思う。

今日書き始められたのは、書いている人がいたからだった

ふとnoteを開いたら、いくつか通知があった。

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公開された記事を読みにいってみる。フォローしてくれた人のプロフィールを見てみる。スキされた記事をあらためて読んでみる。

わたしはnoteで記事を書いていなかったけれど、書いている人がいた。読んでくれる人がいた。

その繋がりを感じられたから、今日こうしてnoteを書けたのだと思う。

これからも、ゆるゆると繋がれれば幸い。

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いただいた感想たちをメモ。いつもありがとうございます。その言葉が、次書く活力になります。



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