見出し画像

わたしは家族が好きになれない

いま、京都から神奈川の自宅へと車で向かっています。
隣にいるのは母。運転手は父。家族3人旅行の帰り道。

ハワイ旅行も日光旅行も断ってきたから、京都へ向かう道中は、若干の感慨深さがあったのですが…。

やっぱりわたしは、家族を好きになれそうにありません。

13歳の時、父から「あなたへの信頼はゼロになりました」と言われました。
母から「お前の親なんか辞めてやる」と言われました。

その頃から、わたしには両親などいないのだと、
保護者はいるが親はいないのだと、
そんな気持ちで、約10年を生きてきました。

2年ほど前、大学を休学する際に、親と向き合おうとしたことがありました。
実際、わたしが思っていたよりも家族は壊れておらず、父も母もただ不器用なだけで、ただ少し我慢が苦手なだけで、悪い人ではありませんでした。

長らく家族関係について相談していた友人からは、「いざ向き合ってみると、意外と愛情に気付けたりするもんだよね」と言われました。

「そうなのかもしれない」という気持ちと、「そうではないと思う」という気持ちは、半々くらい。後者が少し優位か。
だって、包丁を向けられたあの日のことを、「嘘つき」と吐き捨てられたあの日のことを、「愛情からの行動なんだ」なんて、思えないもの。

付き合っていた人から、羨ましがられたことがあります。

両親が健在で、朝、母の料理の音が聞こえてくることを。

その人は大学入学と同時に家庭とほぼ縁を切ったような状況だったから、「家族がいる」ということがとても価値のあるものに思えたのでしょう。
たとえ、子どもが親に対して良くない感情を抱いているとしても。

わたしの膝に顔をうずめて泣く彼の頭を撫でていたら、家族を愛せないことがとても悪いことのように思えて、なんでこんな泣きたい気持ちになりながら泣く人を励ましているのかが分からなくなりました。

母にも父にも、たくさんの良いところがあります。
母は料理がうまく、勤勉で、子ども2人を育て上げる強さがあります。
父は社交的で、仕事熱心で、家族3人を食わしていく強さがあります。

育ててくれたこと、今も実家に置かせてくれていること、感謝してもしつくせません。

それでもわたしは、家族が好きになれないのです。

父の悪口をわたしに言ってくる母が、わたしと母の意思を汲み取ろうとしない父が、自らのフラストレーションを娘にぶつけてくる2人が、わたしは好きになれないのです。

静岡SAを出て、家まではあと100km。
わたしの膝を枕にして眠る愛犬を見ていたらなんだかたまらない気持ちになって、この苦しみを吐露せずにはいられませんでした。

こんなことを書いても、noteなら許される気がしてしまいますね。

写真は京都の街並み。
京都旅行、ちゃんと楽しかったですよ。

感想、コメント、リクエストなどいただけたら嬉しいです。「たかれんのこんな記事読みたい!」があったらDMにどうぞ!