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キリスト教初心者のための「新約聖書」超入門(2/4)

前回は、キリスト教の聖典の一つである旧約聖書を共通項として、ユダヤ教およびイスラム教との類似点を見ていきました。唯一神の宗教を、多神教の文化から理解することの難しさをお分りいただけたかと思います。

その上で、キリスト教を理解するために、新約聖書に描かれる、イエスが磔刑で亡くなる直前に述べたと言われる七つの言葉に焦点を置いてキリスト教理解の足がかりとしました。今回は二つ目と三つ目の言葉を見ていきます。

まずは二つ目の言葉から見ていきましょう。ルカ福音書23章43節からの引用です。ポイントは二つです。

まず一つ目の「救い」から見ていきます。セッション当日は以下のようにポイントを解説しました。

まず背景から説明します。イエスは他の罪人と同じ日に同じ場所で磔刑となりました。第二の言葉は、そのうちの一人に対してイエスが述べた言葉です。罪を犯していないイエスとは異なり、その罪人は死刑になる罪を犯して磔にあいました。その犯罪人に対して、イエスは救いを与えます。その上で、自分自身が極悪人と同伴し、罪なき罪で死を選んだわけです。

ではイエスが罪なき罪で死を受け入れた意義は何だったのでしょうか。西谷先生は、極悪人とイエスが同伴することに意味があったと解説します。つまり、神の前であれば、人間が何を思おうと、どのような行動を取ろうと、その差異は微々たるものであるということです。したがって、信じて祈りを行う者はすべて平等であり、救われるということです。

二つ目のポイントは「罪」に関するものです。罪とは何かという命題に対して、西谷先生は上記の四つを挙げています。絶対的な存在である神に対して逆らい、神の意思による神および他者との良好な関係性を壊し、他者を傷つけることが罪となる、ということなのでしょう。

では三つ目の言葉に移りましょう。この言葉は、ヨハネ福音書19章26〜27節から引用されています。こちらについてもポイントを見ていきます。

この一節でイエスが呼びかけた相手は、前半が母マリアであり、後半が愛弟子のヨハネと言われています。まず前半の台詞については、実の母に対して「あなた」という言葉が冷たすぎるように感じられます。しかし、イエスは敢えてこのような言葉を使うことで、血縁に縛られない人類の平等性を表したのではないかと解説されます。

このあたりの話が、血縁や地縁で形成される社会に生きる私たちには分りづらい部分でしょう。正直なところイメージがしづらいです。しかし、こうした平等性の考え方が、近代民主主義の礎となったという西谷先生の解説には唸らさせれます。


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