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「聳立」という熟語を初めて読んだ日。〜『現実の社会的構成』(P・バーガー+T・ルックマン)を読んで

立教LDCでの学びログ_2020.08.08

走り出す山手に飛び乗って ぐるぐる回ってりゃ目は回る
(常田大希「Tokyo Rendez-Vous」より)

社会構成主義(構築主義)についての書籍をここまで数回にわたって取り上げてきました。恥ずかしながら、社会構成主義の書籍を渉猟していると、読めば読むほど散らかってしまう感じです。目が回ってしまいそうなお手上げの状態でした。

この状況で、文献リストの一番下に残っていたのがP・バーガー+T・ルックマンの以下の書籍です。個人的な感想ですが、社会構成主義の古典的名著を最後に読んだのは悪くなかったのかもしれません。一周してみるとなんとなく山手線なるものがわかるのと同じかもしれませんね。(過去に一度だけ一周したことがありますが、駅間が短いためか停車時間が長く感じて、鉄道ファンではない私にはうんざりするだけでしたが。。)

念のために申し添えますと、本書の原題はThe Social Construction of Realityです。社会構成主義はSocial Construction(ism)の和訳ですから、本書は社会構成主義のはしりの書籍と捉えられるでしょう。

では本書では知識というものをどのように捉えているのでしょうか。

<現実>および<知識>に関する問題への社会学的関心は、まず最初それらの社会的相対性という事実によって正当化されるのである。(中略)<現実>と<知識>の特定の集合体は、特定の社会的文脈と関係をもっており、これらの関係は、こうした文脈の適切な社会学的分析の対象に含まれなければならないだろう(4頁)

客観的に正しい知識というものが外在的に存在するのではなく、コンテクストの中で位置付けられるものであるとされています。知識が生成される際には意識の作用が必要であり、この「意識は常に志向的なもの」(30頁)という捉え方は、最初に取り上げた上野千鶴子さんの書籍にも影響を与えていると考えられそうです。

では関係の中でどのように意味生成を私たちは行うのでしょうか。先週取り上げたガーゲンの主張と同様、内省対話の二つがキーとなります。

対面的状況のもとでは私自身の存在が近づきやすいものになるには内省を必要とするのに対し、他者の存在については、圧倒的で、持続的で、かつまた内省以前的な近づきやすさが存在する、ということである。しかしながら、いまや私が私自身の存在をことばという手段を用いて客観化するとき、私自身の存在は、それが他者にとって近づきやすいものになるのと同時に、私自身にとっても圧倒的かつまた持続的に近づきやすいものになり、私は意識的な内省作業によって妨害されることなく、自然に私自身に対応することができるようになる。(59頁)

上述した箇所が面白いのは、対話の持つ可能性です。私たちにとって、他者の言葉から得られる気づきの方が自分の思考よりもパワフルであり理解しやすいものです。なぜなら、他者の言動は<私>にとっては客観的であり外在化されているからです。換言すれば、自分が何を考えているかは、ああでもないこうでもないと考えても、他者の言動よりも気づくことが難しいものといえます。

だからこそ、自分自身が内省している考えや感情を外化し、それを他者に聴いてもらうという対話が重要なのです。なぜなら、自分自身の思考と感情を外化しても自分では気づきがそれほど得られないかもしれませんが、それを聴いた他者にとっては理解しやすいものだからです。

このように、お互いに自分自身のことはわかりづらくても、言語をやり取りすることでお互いに<他者>のことを分かり合うことを積み上げることでお互いに自分自身のことも含めて分かるようになるという相互交渉関係が構築されると考えられます。つまり、対話とは、お互いにカジュアルに共感するためのものではなく、分かり難い自分自身を理解しあう真剣な言語のやり取りと考えるべきなのではないでしょうか。

社会関係についていえば、ことばは物理的にいまここにいない仲間を私に<現前化>させてくれるだけでなく、記憶とか再構成された過去のなかでの友人や、想像上の人物として未来に投射された友人をも、<現前化>させてくれる。(61頁)

内省と対話のスコープは、その場にいる人々だけに留まりません。言語とは、ある共同体において歴史的に構築され続けているものであり、お互いに理解しあえるものでなければ通じません。私が唐突にある事象を指して「あがいっどかい」などと発しても、平仮名を読める方にはシニフィアン(音声)としては認識できますが、シニフィエ(内容)は伝わらないでしょう。

共有する言語を使うということは、いま(時間軸)・ここ(空間軸)に限定されない幅の広がりがあるということです。それは過去にも通じるし、遠い地にいる人にも通じ、かつ先週扱ったガーゲンよろしく未来の創造にも繋がるものなのです。

【おまけ】

念のための補足までですが、題目にある「聳立」は本書の62頁に登場しまして、「しょうりつ」と読みます。「聳え立つ」という訓読みでの言葉は知悉してましたが、聳立というのは本書で初めて目にしました。これは読めても書けない漢字ですね。


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